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お笑いファンがYahooとTwitterを辞めて一年
TwitterとYahooを辞めて一年が経った。辞めたきっかけと辞めてからの生活の変化についてまとめてみる。
Yahooを辞めて一年
Yahooを辞めたのは、ニュースタイトルに惹かれてアクセスした芸能ニュースがいわゆるコタツ記事だったことがきっかけだ。
私にとってコタツ記事に対する思いは煙草に対する思いによく似ている。煙草の臭いは不快であり、喫煙者とも距離を置く。喫煙所が通りにある場合はなるべく離れて息を止める。だが、喫煙者に文句を言うことはない。そこには生産者と消費者がいて、双方に煙草が存在する意義がある。それは非喫煙者には遠く理解の及ばない理論であり、一定の距離さえ取れれば関わることはない。
コタツ記事にも同じように生産者と消費者がいる。ネットニュースを批評することが生きがいの人がいて、アクセス数を伸ばすために扇情的なタイトルをつけるニュース配信社がある。彼らにはコタツ記事が存在する彼らなりの意義がある。そこへわざわざ通りがかって文句を言うのは自分勝手だ。そう考えてブラウザの設定をYahooからGoogleに変えて、ニュースはNHKニュース速報を読むようになった。
それから芸能関連のニュースタイトルはほとんど目にしなくなった。誰かの暴露も物議も賞賛も話題もない。芸能の話題に触れるのは深夜ラジオか粗品のYouTubeぐらい。そこで知った話題は、遠い世界の寓話を聞くような不思議な気持ちだった。
あれから一年。生活に変化はほとんどない。そしてYahooを見なかったせいで損したこともない。
ということは今までYahooに並んだ芸能ニュースのタイトルをクリックするか悩む一瞬、読む一分、記事を鼻で笑う一瞬、タイトルに惹かれてニュースを開いた自分を責める数秒、その全てが不要だったのだ。この記事を書くにあたって久々にYahooを開くと、改めて不要な情報のオンパレードで笑ってしまった。
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全く用のない左側のタブ全て。一番大きな面積を占める右上の広告枠。画面のほとんど全てがYahooのサービスか広告につながっており、そのどれもに用がない。
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対してGoogleはシンプルでストレスがない。もうドンキホーテの陳列棚のようにごちゃついたYahooを目にすることはないだろう。
Twitterを辞めて一年
Twitterを辞めようとは数年前から思っていた。
最初のきっかけは、度々巻き起こる論争が無意味だと感じるようになったことだ。Twitterで伸びるツイートは扇情的なものが多く、それはネットニュースのタイトルの過激さによく似ていた。伸びたツイートには多くのコメントが寄せられるが、そこから社会に還元されるべき意見は一つもなかった。
議論は熟す前に放り出され、意見の異なる相手のアカウントの粗探し、誹謗中傷が起こり、しまいにはブロックされたことを嬉々としてポストする。この一連の流れを何度も目にした。
もう辞め時だなと思いながらTwitterを使い続けていたのは、私の中に野次馬根性が生きていたのだと思う。ブレイキングダウンよろしく誰かと誰かの言い争いを高みの見物で楽しんでいた。
だが、そこで行われている言い争いには種類が少なく、どれも似たような展開で面白みが減っていった。それに加えて1-2年前からトレンドワードに並ぶ文字列は知らないものの方が多くなっていた。ソーシャルゲーム、アイドル、競馬、アニメ、ハングル文字など。そこでようやく気がついた。もうここに私の居場所はなかったのだ。
Yahooを辞めた頃と同時期にTwitterのアカウントを消した。
生活から芸人のつぶやきが消え、芸能ニュースが消え、様々な匿名の意見が消え、それらに対して生まれる感情も消えた。フワちゃんやランジャタイ、稲ちゃんらのニュースを知らないまま日々が過ぎ、後日深夜ラジオやポッドキャストでそれらを知った。
その頃に知るニュースの温度感は非常に心地良かった。ある程度の決着がついていたし、ニュースに対する手ひどい悪口も、辛辣な意見も、「気になった方はプロフへ」の文字を見ることもなかった。リアルタイムでこのニュースを知っていたら疲れていただろうな、と思うニュースがいくつかあった。
Twitterをやっていた頃、好きな芸人を非難するツイートを見たら、その意見に対する反論を反射的に考えてしまっていた。ファンとしてどう面白く切り返せるかと考えることもあった。何か思いついても呟くことはないが、布団の中でもやもやと考えてしまう夜があった。
Twitterを辞めて一番良かったのは、この不毛な思考が無くなったことだ。毎日快適に睡眠し、仕事のこと、家族のことを考える時間を十分にとれる。スマホを見る時間も減り、いくつかのやるべきことを片付けた。もっと早く辞めていれば良かったな、と今では思う。
YahooとTwitterを辞めて生活は変わったのか
まとめて振り返ってみると、両者を辞めて生活はいくつか変わった。不快だと感じることが減り、スマホを触る時間が減った。辞めてからの生活は快適で、後悔したことは一つもない。
これも一種の断捨離なのだろう。振り返るとやたら清々しい。次はLINEを辞めようと考えている。