するりと自然に変化に合わせられなくてもそれでいい
アラフォーと言われるこの年齢は、転換期ともいえる。
かの有名なエリクソンの発達段階でいうと、成人してから40歳までは成人期。
40歳からは壮年期という新たな発達段階へと移行するといわれてる。
つまり、理論的にも転換期だといわれているわけだけど、
実感としても1年1年、自分自身の体も変わってくるようだし、
子どもたちも少しずつ成長し、こちらのサポートの仕方も変わってくる。
この転換期における変化。
すっと目的地を飛行機が飛び立って、
途中の美しい景色も楽しみながら、
さらりと着地して、
到着した場所でもまた新しい景色を楽しめる。
そんなふうに、"自然にするり"とその変化に合わせられ、楽しめればいいのだけど、"自然にするり"がこれまた難しいときもある。
それに対しては、決して悲観してるわけでもなくて、転換期っていうものはまぁそんなもんだよなと頭では思ってたりもする。
でも半分ほどは、「心の専門家のくせに」というちょっと傷つく言葉で自分をしょんぼりさせてしまってるのが現実。
2年半前、フリーランスとして活動し始めた頃に書いて、たくさんの♡をもらったこの下の記事も、わりと、もがいてあがいて整理して、どう変化させていくかにたどりついた感が溢れてる。
過去もそうしてきてるんだし、別に変化にそんなに綺麗に合わせられなくたって、あがきながらちょっとずつ合わせていければそれでいいはずなんだけど、そのあがいて、もがいてがしんどかったりもする。
それでもそのとき、あがいてもがいた末、自分自身を整理するのに助けられたのが、"価値"。
2年半前の"価値"は、誰かに役立つ何かをまずは続けていきたいということだった。
ライフスタイルが変わろうとも、その方向に向かうことはできる。そう思うと急に心が強くなったそんな気がした。なんというか、目にメラメラ炎が燃えているような(ふふふ笑)よっしゃ頑張るぞっていうそんなかんじになった。
そこからは、役立つ何かを自分の中で具体的にして、できることをできる限りやってきたつもりなのだが、この最近、また心も体も立ち止まりたくなったようなのだ。
それも、体がここまで完全に立ち止まれと言ってきたのは初めてのこと。
これはなかなか心にも堪えた。
"価値"を見直し、そこに進み始めてまだ2年半ほどなのにねと。
まあでも、とりあえず、立ち止まりたくなったんだから、しっかり体を休めた後、再度、自身の"価値"を見直してみることにした。
誰かのためになる何かをということは変わらず"価値"であるような気がするのだが、なんかそれだけではしっくりこないようなそんな感覚になっていた。
もしかしたら、誰かのためになる何かをしたい、というよりは何かを残したい、そんな気持ちの方が強くなっているのか?そんな気がちょっとしてきた。
以前から、形にする・残すみたいなことは、自分の価値の中に含まれているなとは思っていた。
しかしながら、それはその時点の優先度は高くなかったように思う。
再度、冒頭のエリクソンの発達段階の話に戻ると、壮年期のテーマとなる克服すべき心理社会的危機は、generativity vs stagnation。generativityとは造語で、"次世代育成能力"という意味。つまり子供や若い世代のお世話に生きがいを感じるのが壮年期のテーマだといわれてる。
つまり、新たな"価値"として加わった、残す、形にするというのは、この"次世代育成能力"という発達課題ととても近しいように感じる。
まだそんなことを偉そうに言えるほど、成長もしてないんじゃない?というそんな自信のなさももちろんひょっこり顔を出す。
それでもちょっとずつ、残したいというフェーズに入ってきているのねということを、確実にとらえたかんじがした。
今回は目にメラメラ炎が燃えているかんじではなく、どこか静かにどっしりと足で地を踏み締めているような、そんな不思議な感覚。
何を形にするのか
何を残すのか
それはまたこれからゆっくりと考えていく。
それをまた少しずつ深めていく中に、
仕事、家族、人間関係、自身の成長などをどうしていくのかという答えが含まれている気がする。
アラフォー、転換期。
発達段階でいうと壮年期。
それが今の私へ、そして同じ世代のみなさまへのメッセージ。
一緒に立ち止まりつつ進んでいこう。
<引用>
*坂野朝子・武藤崇 (2012)「価値」の機能とは何か:実証に基づく価値研究についての展望 Doshisha Clinical Psychology: Therapy and Research Vol. 2, No. 1, Pp. 69-80
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