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私の抱える問題はどこにあるのか~自分的サクセスストーリーのために~



本当に自分がどうしたいのか。
自分自身はどんなことを望んでいるのか。私でさえ見えていない。
夢や希望は数え切れないほどあっても
叶えることはできないから目つぶり始めている。
努力が無駄なのならば、努力をしたくない。
なら、せめて自分を傷つけない生活を送りたい。と考えても送れるわけではない。何も持っていない「わたし」の意味は何なのだろうか。

最近、よく文章の内容に感想を頂ける。ありがたいことである。ありがとうございます。そんな中、自分の置かれた状況に関して意見を頂いた。

以下が内容である(文章は編集している)

あなたの書くものに共感する一方で、引っかかるところがあります。あなたは、何もやる気力がわかないという<精神的な問題>なのか、それとも<物理的な問題>なのか、それをはっきりした方がいいように思いました。たとえば、問題の解決のために特定のモノや処置が必要である<物理的な問題>なのか。それとも、 生育歴やキャリアのつまづき、私生活のあれこれなどで、自分はもうだめだ、将来に希望が持てないという<精神的な問題>なのかということです。後者ならば、視野を広げつつ、どうしたら一番いい自分的サクセスストーリーを描けるか、徹底的に考え抜いて具体化すればいいだけのはずです。気力が出ないなら、出ない理由を徹底的に考えればいいだけのことです。


このような感想を頂いた。私自身、物理的な問題や精神的な問題を分けて考えたりするのは難しいと思っている。どちらも地続きであるし、精神的な問題であっても物理的な問題と同じような困難さがある場合もある。だから、どちらなのかということを明確にする必要はないし、できない。という意見を持っているが、「私は私をどう捉えているのか分かっていない。」というのが明確になった。

これまで、この方のいうような「自分的サクセスストーリー」を得るために努力は惜しんでこなかった。13歳のあの日に崩れ去ったものを、どのように取り戻して、新たに得て、どうやって見返すのか。そのための方法を10代から実践してきた。

結果として、大阪大学までに進むことはできたかもしれない。それで世界は変わるはずと認識して疑わなかったという愚かさもある。本当は、そこからが戦いの始まりにもかかわらず。

頑張って得ることが出来れば、必ず自分の居場所や成功が約束されていると思っていたけれど、実際は大きく異なっていた。

結局、あの避けたかった自分の世界に強制送還されてしまった。それは、あまりにもかけ離れた世界だったからなのか、巡り合わせが悪かったのか、選択を間違えたからなのか、その全てだったのか。それを今考えるだけの余裕はなくなっている。

ただ自分なりの最善を選択してきたし、対外的な死は避けてこられたから「最悪の結末」は迎えていないはずである。死を選ぶなら「私の決断で私が私に手を下す」と決めているから、その点から見ればの話であるが…

ここまで来るために、多くの犠牲を払ったのも事実だし、人としての当たり前の多くを経験できずにいる。

それを経験するためには、物理的な問題もあるし精神的な問題もある。でもバラバラして考えれば、その全てが精神的な問題とも言える。

さらに「わたし」を「わたし」が諦めれば、もしかしたら可能かもしれない。例えば、恋愛なら私が絶対に好きにならない人を無理矢理に好きになって感情を失わせれば形になるのであれば得られるかもしれない。

しかし、それでは「わたしはわたしの尊厳」を捨てることになる。そういえば、尊厳についてのことをどこかで書いた気がした。

感想をくれた方は、「視野を広げつつ、どうしたら一番いい自分的サクセスストーリーを描けるか、徹底的に考え抜いて具体化すればいいだけのはずです。気力が出ないなら、出ない理由を徹底的に考えればいいだけのことです。」と語っていた。

視野を広げたからこそ、余計見失ったという事実はある。自分的なサクセスストーリーを描くために徹底的に考えて行動したことで、年齢や経歴が引っかかるという事実を知った。気力が出ない理由は、当たり前を経験することができていないから。その当たり前が、私ひとりで解決できるものじゃないという難しさもある。

結局、私は私のことをハッキリと分かっていない。いや、変えてきたからこそ、なにがどうすればいいのか分からなくなったというのはある。

最近、少しづつやはりそうだよね。という思うこと増えてきている。過去の自分の言葉は間違っていなかったんだということはある。

ただもしも叶うのなら、やはり僕はエリートとして君臨したいという野望はある。少し語弊はあるけれど、戦うために変えるためには今の場所にいる訳にはいかない。

そう、でもそれがもうどうしていいか分からないんだよね。

「自分的サクセスストーリー」という言葉は、とてもいい言葉だなと思った。

自分的サクセスストーリーが描けるように頑張らないといけない。でもそれがなぜ今できないのか。少し傷つきすぎたのかな。あらゆることに。

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かただ しんのすけ
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。