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「国語ができる」ってどういうこと?
国語はとらえどころのない科目と言われます。勉強しても手応えがない、やってもやらなくても成績が変わらない、正解と不正解の区別がつかない等、ネガティブな声もあります。改めて「国語ができる」というのは、どのような状態でしょうか。
高得点・高偏差値は当たり前なので、その前提を考えてみましょう。論説文であれば「筆者の論理に付いて行けている」状態。物語文であれば「登場人物の心情を追いかけられている」状態。そして「適切な言葉を使って、自分が理解したことを表現できる」状態と言えるでしょう。
論説文における読解力は、ひたすら自我や主観を消して、筆者の考えを「聴く力」です。物語文における読解力は、登場人物の心情変化を表す言葉や描写を見逃さない「注意力」です。どちらも、他者の頭や心に、自分の思考を合わせなければなりません。小学生には難しいのですが、これらの力が備われば、再現性が高まり、国語の成績が安定するでしょう。
(「国語の成績が安定しない!その原因は?」をご参照ください。)
国語の成績が上がる時は、坂道のように少しずつ上がるのではなく、階段状に急に上がります。しかし、階段のタイミングは人それぞれで、いつ来るか予測できないのが辛いところです。言語体験の蓄積や精神年齢の発達によると考えられますが、階段の出現率が高まるように、読む量・話す量を増やしていきましょう。
次回は一歩進んで「記述問題ができる」という状態を考えます。