21歳。生き急ぐにはまだ早い。もっと生を楽しむべきだ。
どうも、ごきげんよう。瀬戸文乃です。今日は跳ねません。たゆたうだけにしておきます。
今回は私が生き急いでいたことに気がついた話をしようと思います。
今年の四月、なんとか内定をもらった会社に入った。
そして研修中、報連相を怠ったり遅刻を繰り返したため、3ヶ月で退職した。焦った。借りているのは社員寮。すぐに追い出される。次の部屋を決めた。だが保証人の問題ですぐに親にバレた。現状を話した。吐き出した。吐いた。泣いた。
7月。
実家に強制送還された。バタバタと引っ越しをしたためなにかと忙しなかった。それが落ち着くと、今度は実家での生活に慣れるところから始まった。よくわからないままに「休め」と言われて、何をしたら良いのかわからないまま一ヶ月が過ぎ去った。
8月。
少しづつ生活にも慣れだした頃何をしたら良いかわからないことは変わらず、「何もしない」生活が定着した頃。車の運転を練習し始めた。それでも「何もしていない自分」というのが理解できなくて、焦った。なんとか地元でもメンタルクリニックをみつけて初診に行った。
9月。
何もしないで2ヶ月が過ぎ去った。そう。「なにもしていないのだ」。罪悪感が湧いた。苦しくなった。泣きたくなった。自問自答した。死にたいと。なんで生きているのかと。自分に価値など無いと。そう考えてぐるぐると頭を駆け巡って眠れなくなったのが9月3日のことだった。
私は吐き出した。溺れたくないと叫んだ。私はカクヨムに登録して小説を投稿し始めた。いままで二次創作しかしてこなかった人間が一次創作に手を出したのだ。他の投稿作品を見ていて、連載小説とか(続けられる自信ないけど)してみたいなと思った。実際ネタを出して、書きたい概要をまとめて20話分考えた。
それからネタを絞り出したくて、CLAMPの「HOLIC☓☓☓」と青桐ナツの「flat」を読んだ。いや、HOLICに関しては自分が好きな部分だけ流し読みした。「flat」はしっかりと読んだ。
超マイペースな高校生・平介とその友人たち。従弟の幼児・秋ことあっくん。この4人を主軸にゆるい日常が描かれる素敵な作品だ。レビューはまた別の機会にでも書けたら良いなと思う。
平介たち高校生は2年生。進路希望を聞かれて悩んでいるシーンが有る。平介は進路希望調査表に「旅」と書いて再提出を食らっていたが。
また、「flat」には海藤という一年生がいる。理想が高く、なにかと「こうあるべき」と考えがちで周囲が理解できず悩んだり、真逆の性格をしている平介に突っかかったり。以前も今回も海藤くんの空回りが良いスパイスで楽しいと感じた。でも前回と異なる事もあった。なんか共感性羞恥が働いてひとりきゃーきゃーいいながら読んでいたのである。
さてここまでが前座だ。前提だ。ふとした時に平介の進路が旅であることをいいな、と羨んだ。なんでだろうと思った。ちょっと考えればすぐに分かることだった。
いつも自由奔放で。目の前に壁があったらその場でキャンプしだすぐらい楽観視してて。自分の好きなこと、やりたいことだけしてて。自由で。なんだか自分とは全く考え方が違うからだとも思った。むしろその対比の海藤くんのほうが自分に近いのかもしれないと思ったら、何かが腑に落ちた。
海藤くんを通して自分を見た。私は海藤くん同様「~あるべき」の思考をしていたのだと。いつも自分の思考に縛られて空回りして。
そして再度、平介が進路に「旅」と書いたことを思い出した。彼にとってはそれが何もしたくないからという理由で思いついただけの答え。それが酷く羨ましくなった。
自分にはそんな事できないのに。進まないといけないのに。自分は周りから遅れているから。出来ないから。出来損ないだから。そうした思考にはいった時にハッと気づいた。
ああそうか、自分は焦っていたのかと。
この2ヶ月。焦ってばかりで休むことをしてこなかった。身体は運動してないから文字通り休んでいたけれど、こころが休んでいなかった。それが、9月3日に悲鳴となって現れたのだと。理解した。
そう、私はいままで宙ぶらりんだったのだ。独り相撲で焦って、周りが見えなくなって。自分の心も身体も見えなくなって。自分のしたいことがわからなくなっていて。自分のことがわからない現実を突きつけられて。
なにも、わからなくなっていた。
わからなくなっていたのはここ数ヶ月の話じゃないかもしれない。就活中、短大卒と大卒の違いはなにか尋ねたことがあった。返答は「高卒から2年しか経ってない子どもだから」だと言われた。反感を持った。そしてその目が「その質問している時点で子どもなんだ」と言っている気もした。
これはいつのまにか漫然と持っていた疑問だ。「いつから大人なの?どういう人が大人なの?」年数でいえば20歳(今は18歳か)で成人したときから。でも中身が伴っているとは限らない。私はどちらかといえば自分自身中身はいつまでも子どもの人間だと評価している。いつまでも周りに置いていかれてる。じゃあどういう人が大人なのか。知りたいけど知ってる”大人”が居ない。誰も知らない。当然だ。そんなこと意識したことなく生きているのだから。そうしていつの間にか大人になっているんだから。
自分で自分のことを分かっていなかった。それは今日に始まったことではないけれど。一番自由を欲しているのに、自分の言葉でがんじがらめに縛って動けなくなっていた。
泳げなくなっていた。溺れて苦しくて息ができないことに気づいていなかった。私は自己評価が底辺だから、周囲の人間はみんな「すごい人」だと思ってしまう。周りはみんな”大人”に見えてしまう。母も父も姉も聡明で、なのに自分は出来損ないで。だから置いていかれるのが怖かった。
実際置いていかれて、手が届かないと諦めて自分の心に蓋をした。へらへらと出来ない自分を演じて酔っていた。そうしたら本当に何も出来なくなってしまっていた。頑張り方もわからなくなっていた。
それなのに、周りにおいていかれるのが怖い気持ちは溢れてきていた。だから高校受験も少しでもランクの高いところにしなければと思ってしまった。高校卒業後の進路も大学に進まなきゃ、四大に進まなきゃ、でも無理そうだからせめて短大には行かなきゃと焦っていた。
就活でも周囲が内定採る中自分は取れなくて、自殺未遂繰り返すくらい追い詰められて。志望をよくわからない理由で決めて内定取って。自分が本当にやりたいのかわからないまま初出社を迎えて。朝起きられなくて、起きられない自分に絶望して鬱拗らせて。結局遅刻過多で自主退職させられて。
結局私は、置いていかれて。
焦りばかりが募る日々で。追い詰められて。毎日生かされることに疑念さえ抱いて生きて。じぶんがしたいこともわからなくなって。じぶんがわからなくなった。
周りが羨ましかった。なんで普通のことができるのって。私にはなんで出来ないのって。「普通」が出来なくて。苦しくて。周りと比べて劣る自分が恥ずかしくて悔しくて。そう考えだしたら自分なんて大嫌いで自信なんて芽生えるわけもなくて。見えている景色は同じはずなのに、どうして見ている世界は同じじゃないのって。ひとり駄々をこねて。
みんなと「疲れたね―!」って飲みに行くことも出来なくて。みんなと同じ世界をみることができなくて。
悔しい。苦しい。そう思う日々で。
そう思う日々に変わりはないし、旅をするとは行かないけれど。自分がしたいことをみつけるために、一度「休んで」もいいのかなって。有り難いことに実家なので衣食住は保証されているから、ゆっくりと時間を掛けてやりたいことをみつけて、やれることをみつけていけばいい。
焦らなくても良いのだと、気づいた。この20年間生き急いでいた。そりゃずっと過労だったんだ。死にたくもなるよね。急がなくて良いんだ。今は、ゆっくりと紅茶を飲んでやりたいことをしたい。そんな夜になった。
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