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常体が推しのとき、敬体が推しのとき

こんにちは。桜小路いをりです。

みなさんは、文章を書くときに「常体」と「敬体」のどちらが推しですか?

「常体」と呼ばれる「~だ。~である。」という書き方と、「敬体」と呼ばれる「~です。~ます。」という書き方。

私なりに使い分けがあるので、今回はそれをご紹介していきたいと思います。

少しでも参考にしていただければ嬉しいです。


私のnoteは、基本的に敬体で書いています。

ただひとつだけある例外は、「〈エッセイ〉マスクの下の赤い口紅」という記事です。
これは、創作大賞に応募するために書いたものになっています。

本当は、〈エッセイ〉をもっと増やしていく予定だったのですが、堅苦しい感じになってしまうなと思い、今はセーブしています。

ポイントは、なぜ、〈エッセイ〉は常体で書いたのかということ。

これは、はっきりと言ってしまうと「自信を裏付けるため」です。

常体は、私の中で、さっぱりした印象の文体です。あえて例えるなら、甘さ控えめのレモネードみたいな感じでしょうか。

余分なものを全て剝ぎ落して、自分の主張を簡潔に伝えたいとき。
その時の情景をはっきりと読者の方に示したいとき。
そんなときに使うことが多いです。

なので、私は小説を書くときも基本的に常体です。
ちょっと硬い感じの熟語を使っても違和感がなく、「~でした。」という読んでいるときの間もなく、すっと表現が頭に入ってくる気がしています。
ついでに、気づいたら同じ語尾がひたすら続いていた、という状態にもなりにくい印象です。

では、敬体を使うときはどんなときか。

まず、私がnoteを敬体で書いている理由ですが、実は「敬体の文章を書く練習」です。それ以上でもそれ以下でもありません。

もともと常体のほうが私の性格に合っている中で、「いや、文章は硬軟自在になろうや」という試みです。(ちょっと偉そうに語っていましたが、私自身、敬体はまだまだ練習中なのです……。)

私が思う敬体のメリットとしては、「~でした」「~ではないでしょうか」など、伝えたい内容にプラスして、丁寧な語尾がクッションになることだと思います。
常体が甘さ控えめのレモネードなら、敬体は、ふんわり甘いホットミルクかな。

語尾を読んでいる間の僅かなタイムロス、そこで、頭で理解した内容を咀嚼することができる。
さらに、読んだときの印象がまろやかになって、自然とあたたかい雰囲気を醸し出せる。
そんなところが魅力なのかな、と思っています。

私は、童話の公募などに出す作品は敬体で書くことが多いです。

(第2回スマイル童話賞の入選作品に選んでいただいた『妖精のアクセサリー工房』は、敬体で書いていました。
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また、これは結果論ではありますが、noteの自由な雰囲気、ゆるっとした感じには、敬体が合っているなと感じています。

なので、今後も私の記事では敬体を使う予定です。何卒、よろしくお願いします。(こうやって自然な流れで読者の方に呼びかけられるのも、敬体の魅力ですね)


以上、私なりに「常体」と「敬体」の印象について綴っていきました。

まとめると、こんな感じです。

常体が推しのときは
・自分の想いや情景を率直に、鮮やかに書きたい
・さっぱりとした印象、「自信があります」という雰囲気を出したい
・硬い言葉、特に熟語を使いたい

敬体が推しのときは
・読者の方への問いかけ、呼びかけを重視したい
・柔らかくまろやかな雰囲気を大切にしたい
・言葉のひとつひとつを噛み締めてほしい

みなさんは、どんな使い分けをしていますか?

この記事が、少しでも参考になっていれば嬉しいです。


今回お借りした見出し画像は、女の子と筆記用具のイラストです。素朴で可愛らしい雰囲気に惹かれ、即決でした。大きなペンで一生懸命に文字をしたためている様子が愛らしくて、とても好きです。


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