この読書、尊すぎ注意~『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』~
『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』。
このタイトルに「まさか、本を読んだことくらいあるでしょ?」と思った方こそ、ぜひ本書を手に取っていただきたいです。
読書が好きな人ほど、この本との出会いによって見える世界が変わってしまうはず。
そして、衝撃を受けてしまうはずです。
「この世に、こんなに丁寧で優しい読書があったのか」「この読書、あまりにも尊すぎる」と。
『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』は、タイトルの通り、これまで一度も本を読んだことがない32歳のみくのしんさんが、初めて本を読む様子を紹介する、いわば「読書ドキュメンタリー」です。
みくのしんさんの読書をサポートするのは、本好きのかまどさん。
ご自身もみくのしんさんの読書に驚き感嘆しながら、時に読者の心を代弁し、時に読者をも励ます言葉を発してくれます。
小説は「映像よりも映像」だった
みくのしんさんの読書は、一文一文を丁寧に読み解き、ご自身の頭の中に映像を繰り広げていくような読書です。(ちなみに、みくのしんさんは一行ずつスムーズに読めるよう、声に出して読み進めていらっしゃいます)
その読み方の丁寧さと言ったらありません。
主人公の視点に寄り添って、心情に寄り添って、共に泣き、共に笑い、共感しながら、文章表現のひとつひとつを細やかに心に落とし込んで、読み進めていきます。
私たち読者も改めて物語の文章を読みながら、みくのしんさんの物語に対するリアクション、それに対するかまどさんのリアクションも一緒に読んでいける構成になっているのですが……もう、こんなに面白い読み方、もっと早く教えてもらいたかったです。
太宰治の『走れメロス』にこんなリアクションをした人、いまだかつていらっしゃったでしょうか。
みくのしんさんさんの読書は、頭の中で文章を映像に起こしていくような読書です。
私自身の読書もこれに近いタイプなのですが、私の場合は喩えるなら、文化祭の劇のときに使うステージのセットくらいの解像度で、小説を読んでいた気がします。どちらかというと人物の動きとか、描写の言葉そのものにフォーカスを当てているイメージでしょうか。
みくのしんさんは、もっとずっと細やかで、何より感受性がすごく豊か。
新海誠監督のアニメーション映画くらい、鮮やかに、高い解像度で、情景も登場人物の様子も想像していくんです。
文章の些細な表現を通して、できる限り物語に忠実に映像に起こしていこう、という気持ちが、ありありと伝わってきます。
本書を読んで、改めて思ってしまいました。
文章は「映像よりも映像」だ、と。
漫画やアニメ、映画には、どうしたって文章表現は敵わない。一時期、私はそう思っているときがありました。
でも、ひょっとしたら文章って、映像で見せるよりもよほど鮮やかに、臨場感たっぷりに、その情景を、人を「魅せる」ことができるものなのかもしれない。
文章より映像、そう思ってしまうのは、文章を本当の意味では読めていなかったのかもしれない。
そんなことを感じずにはいられませんでした。
「読書に正解なんてない」ということ
本書の中で、ガイド役のかまどさんは、繰り返し「読書に正解はない」と話していらっしゃいます。
先ほど、私は「文章を本当の意味では読めていなかったのかもしれない。」なんて書いてしまいましたが、何をもって「読んだ」とするかなんて人それぞれです。
みくのしんさんのように、主人公と体験を共にすることも、もちろんひとつの読書の在り方。
痛快なミステリーにスカッとするために読むのだって、甘酸っぱい恋愛にキュンキュンするために読むのだって、もちろん読書です。
ストーリーに重きを置くのではなく、そのときの自分の心にピタッとハマる言葉を求めて読む、というのも、ひとつの読書の方法です。
そこに、正解はありません。
名作の新しい読み方、新しい読書の仕方を提示してくれつつも、同時に、読み手のこれまでの読書も、読み方も肯定してくれる。
本書は、そんな包容力に溢れた、優しくて温かい1冊でもあります。
(みくのしんさんもかまどさんも人柄が温かすぎて、読書抜きにしても、純粋に、優しいその世界にいつまでも浸っていたくなります。中でも特に、みくのしんさんのあのマインドは見習っていきたい。)
ひとりの書き手として
本書は、文章を書く側としても、とても考えさせられるものでした。
私の文章は、みくのしんさんのような読み手さんに1行1行読んでいただいたとき、その感受性と想像力に耐えうるものだろうか、と。
もちろん、小説の文章とnoteの文章とでは趣向は異なるのですが。
『走れメロス』や『一房の葡萄』、『杜子春』のように、長く読み継がれる名作のような文章を書くことはできません。
本書のために雨穴さんが書き下ろした、『本棚』のような企みに富んだ小説も、まだ憧れです。
でも、ゆくゆくは、みくのしんさんの読書に耐えうるような、1行1行に感動の種が詰まった文章を書けるようになりたい。
そのために、小説だけじゃなく色んな作品に触れて、感受性と表現力を磨いていきたい。
読んでいて、そんなふうに思わされました。
私にとっては、読みたい気持ちと一緒に、書きたい気持ちもむくむく湧き上がってくるような1冊でした。
この読書、尊すぎ注意
この本をひと言で表すなら、ずばり、「尊い」。
読み終えた頃には、きっと、『走れメロス』と『一房の葡萄』と『杜子春』の虜になって、みくのしんさん、かまどさん、そして雨穴さんのファンになっていること間違いなしです。
ちなみに私は、今年の夏は雨穴さんの作るホラーに涼をもらっていたので、書き下ろしが読めたのも嬉しかったです。
お気に入りの動画もついでに貼っておきます。
(辻村深月さんの『ふちなしのかがみ』ですら1編目で挫折し、夏目漱石の『夢十夜』を読んだ日は夜眠れなかったくらいホラーが苦手だったのですが、雨穴さんの動画は楽しく見られたので、怖がりな方にもおすすめです。)
それでは、ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』、ぜひお手に取ってみてください。