鋸山に行って来たよ-32
これまでのお話
今夜もおいしい幸福に満たされながら、スィーツと明日の朝食を求めてコンビニへと向かう。
夕日が落ちた空、綺麗だな。
「お酒買おうかな」
「私はいらない」
だって今日は酔っぱで入浴しないと決めているからね。
すると彼も購入を止め、その代わりとしてサワー気分を楽しめそうなグレープフルーツサイダーを購入した。
宿に戻るとまだ18時半。
一緒に動画配信を見ていたけど飽きた彼はコンパクトギターを検索し始めたので、私は一人でお気に入りのル・ポールのドラァグ・レースを見る。
参加者に対するル・ポールの対応がとても好き。上司として部下にどう接するべきかなど勉強になる。一人で仕事していて上司も部下もいないけどね・・・・・・フっ。
20時半、そろそろお風呂に行こうかな。既に酔いは醒めている。だけどちょっと怖い。昨夜のこともあるし、場の雰囲気に流されてまたあの歌を歌ってしまわないかな。
だけど折角の温泉だし寝る前に体は暖めたいからタオルを持って一人一階へと下りていく。
今日も誰もいない独占バスタイム。
浴室に入るとチェーンがついた貴重品入れのようなものが手すりにかかっている。
何かな、これ?
気になるけど中を確認したとたんに持ち主が現れたり、なんか変な面倒に巻き込まれるのは嫌だな。
だけどもしカメラが仕込まれていたら。
外から確認した分にはレンズらしきものはどこにも見当たらないしやっぱり放っておこう。
私という人間の行動を試されてる気もするしね。
でっかい浴槽に一人静かに浸かっていると自然と正面の手すりかかったポーチに目がいってしまう。
そう言えば部屋をでる時に近くの部屋から女性のイラついた声が聞こえてきたな。
「知らないよ」
その後、言い返すような男性の声が聞こえてきたからもしかしたらこの貴重品を探していたのかもしれない。
自分なりの推測がついたら頭にスペースが生まれて、別のことが浮かんできた。
うぅ、来た。
昨夜の歌がやっぱり戻ってきた。歌いたくないのに自動的に頭の中で再生される。
この歌は自分が作った歌と思ったけど、もしかしたらこの宿を守るエネルギーとは別の何かが私にいたずらを仕掛けているのかもしれない。それか「歌わない」と意識していることで逆に意識しちゃっているのかも。
いずれにしても歌わないって決めているんだから口に出しては歌わないよ。
自動再生が始まったら別の歌を頭に流そう。
体もすっかり温まったので顔を洗おうとシャワーハンドルを回すとお湯が出ない。どんなに待っても水のままだったので仕方なくお風呂のお湯で洗い流した。
結局、お風呂にいる間、貴重品を取りに来る人はいなかった。
このままここに置きっぱなしにしてもいいけど、もし良からぬ考えを持った人が良からぬことをして誰かが困ることになると思うと。うーん、受付に届けておこう。
ポーチを持って脱衣所へ行くと一人の女性が入ってきた。
なんてバッドタイミング。
「あのぅ、これ手すりにかかっていたんですけど」
「何コレ?」
「わかりません。怖くて開けていないので」
「そうよね」
「あなたのじゃないですか」
早期解決を望み、変な質問をしてしまった。
「いいえ、違います」
そうだよね。彼女だったら「何コレ」なんて言わないもんね。
「一応、受付に預けておくのでもし誰かがポーチを探しに来たらそのことを伝えてもらってもいいですか」
「わかりました」
彼女は笑顔で答えてくれた。
着替えている間も誰も取りに来なかったので、諦めて持って外へと出る。だけどバックの中にはしまわずに、端を摘まんで「自分のものではないですよ」、「盗んでいませんよ」をアピールする。
受付へと向かう途中、従業員のおばちゃんに会った。
「すみません。これお風呂場に置いてありました」
「あら、ご丁寧に」
そう言ってポーチを受け取ってくれた。
解放された喜びっ!
部屋に戻ってたぁに一部始終を話す。
「なんだか私の欲を試されているようで怖かったんだよね」
「わかるよ。でも正しいことしたよ」
そう言ってくれると「エッヘン」です。
温まった体を冷やすまいと布団に入って本を読んでいると隣の部屋から女性の声が聞こえてきた。
「ありがとうございます」
多分、それはポーチが持ち主に戻ったという合図だろう。
安心からか眠気が襲ってきたので、そのまま目を閉じる。
今日はたぁにくっついて寝よう。
だけど布団はシングルサイズ。寝返りを打つと布団と布団の間に落ちて床に触れてしまう。それに寝ている彼の体は徐々に熱くなりくっついているだけで汗が出てくる。諦めて自分の布団に戻るけど彼を感じていないので背中をちょこんと触る。
今日は負けないよ。
私はぐっすり眠るんだ。
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