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大人なこどもっぽさを、こどもな大人は学ばなければならない話

44歳の誕生日を迎えた。いよいよ大人である。そりゃそうだろ、というつっこみも多そうだが、それを自分自身で深く認識することが非常に難しいことは「大人になりきれないんだよね(笑)」と、嬉しそうに語るおじさんたちが多いことからもわかるだろう。これを僕は「大人になりきれないんだよね(笑)症候群」と呼んで密かに恐れている。同世代のみなさん、現実に目を向けよう。繰り返すが、いよいよ大人である。せっかくの誕生日なので、今日は夜更かしして「大人」というテーマで、今思うことをまとめてみようと思う。


「大人になりきれない」を自分で言う危うさ。

時間の経過と年齢の進行は、僕の仕事であるクリエイティブという一見特殊領域と見られる世界でも例外ではない。最先端の設備を備えた弊社のオフィスには会議室や高速WiFiや大画面モニターが設置してあっても「ドラゴンボール」の精神と時の部屋や、「ドラえもん」のタイムマシンや、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンがあるわけでは無い。思い返せば、24歳の時に仙台で「システムエンジア辞めて、東京でデザイナーを目指します」と言い、課長や部長に心配されて高級な牛タンをご馳走してもらうも、Uターンすることなく上京して以来20年、クリエイティブの仕事を続けることが出来ている。
   
いろいろあったが、おかげさまで、Steve* inc.という会社を立ち上げることができ、働きがいのある仲間と、やりがいのある案件と向き合える日々を楽しんでいる。現場でも最年長になることも増え、経営者として何十人もの社員の生活のことも考えなければならないという責任や自覚だってあるつもりだ。が……こどもっぽい一面を捨てきれないことも事実である。
   
しかし、ワイドショー番組などで連日、生き方や考え方をまったく変えようとしないおじさんたちが、世間の感覚からズレていると叩かれ続ける姿を見ていると「大人になりきれないんだよね(笑)症候群」の最終形態を見ているようで、ふと、じゃあ自分は大丈夫かと怖くなった。彼らはこどもっぽい笑顔と、こどもっぽい話し方で、自らの武勇伝を語り、自らの感性だけを信じ、周りの笑顔を集める。だが、彼らは気づかない。いつしか囲まれているのは笑顔では無く、失笑であることに。これは「大人が憧れるこどもっぽさ」などではないのだ。「こどもな、こどもっぽさ」である。

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こどもは「大人の」という言葉にワクワクする。

「こどもな、こどもっぽさ」を次の段階へ進めるには「こどもな、大人っぽさ」を理解しなければならない。世界には、大人の〇〇というネーミングが溢れている。だが、多くの人が何歳になっても「大人の」という言葉を聞くとワクワクすると言うのは何故だろうか。僕の見解はこうだ。誰もが、大人になり切らないほうがカッコいいと思う一面があり、脳の奥に持ち続けてしまっている「こどもっぽい」本能。そこが刺激され、こどもの頃に感じた、知らない世界へ片足つっこんでいるようなワクワクした高揚感を思い出すからではないだろうか。とすれば……懐古的な感覚への依存でしかない。つまり「こどもな、大人っぽさ」が刺激される言葉である。

こどもの頃に近所の兄ちゃんから教えてもらったイギリスのロックバンド、Oasisのけだるいボーカルの格好良さ。隣町のジーンズショップで教えてもらったヴィンテージジーンズ、リーバイス501ビッグeの格好良さ。僕も10代の頃「大人の」世界に片足つっこんだ感覚になったものは数多くあるが、何より「大人の」世界を感じたのはコンビニで見かけた永谷園の「おとなのふりかけ」だった。もちろん味も素晴らしかったのだが、その絶妙なネーミングのせいで、信じられないぐらい「大人の」という魔力にハマった僕は、毎日そのふりかけでご飯をおかわりし続け、体重が3kgぐらい増えたことを思い出す。恐るべき「大人の」力である。
   
だが、今改めて思うのは僕が異常に「大人の」世界に惹かれていたのは、「こども」だったからという理由に他ならない。どれだけカッコつけてOasisを目覚ましの曲に設定しても、どれだけスカして休日にリーバイス501ビッグeを履いていても、それで高揚感を得ていた理由は、「こども」だったからに他ならないのだ。

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「少年のようですね」は褒め言葉とは限らない。

恐らく「少年のようですね」と言われて、ほとんどの大人の男性は喜ぶのではないだろうか。だが、僕の感覚地でしかないが、20代男性が「少年のようですね」と言われたら、それは90%以上の確率で間違いなく褒め言葉だと思うが、30代男性の場合40%、40代男性に至っては褒め言葉である確立は5%ぐらいのものだと思うべきである。この言葉の本音は「この人、、、現実世界のセンスやマナーを学ぼうとせずに、自分のルールで生きている人なのかもなぁ。まぁ、関係ないけど」ぐらいのものだと僕は自戒の念も含めて思っている。

NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』で、坂口健太郎演じる医師、菅波が主人公の清原果耶演じるモネに言う印象的なセリフがある。

「あなたのおかげで助かりましたという言葉は麻薬です」

医師である以上、このような感謝の言葉は数多く聞くのだろう。だが、その言葉の解釈を誤解してしまうと、自分の本当の気持ちとは異なる戻れないところまで行ってしまう危険を教えてくれる、大切な言葉のように感じる。同じように、大人へ向けられる「少年のようですね」という言葉は、受け手が「あ、このままで自分はいいんだ」と誤解してアップデート機能が壊れていく、麻薬のような危うい言葉なのかもしれない。

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目指すべきは「大人なこどもっぽさ」

まとめよう。10代が言う「こどもっぽさ」と40代が言う「こどもっぽさ」は違う。同じように、10代が言う「大人っぽさ」と40代が言う「大人っぽさ」も違うのだ。これを分類すると4つにジャンル分けできる。

1.「こどもな、こどもっぽさ」
2.「こどもな、大人っぽさ」
3.「大人な、大人っぽさ」
4「大人な、こどもっぽさ」

つまり、「1&2」から「3&4」へアップデートできるかどうかが勝負なのだ。こどもは大人へ成長しなければならない。けれど、僕が言いたいのは、こどもの頃の心を捨てろという意味では無い。いったん大人のセンスとマナーを本気で学んだほうが良いという意味である。こどもっぽい一面を持つことが悪い訳ではなく(むしろ持ち続けることを僕も目指したい)しかし、40代が持っている「こどもっぽさ」の95%とは「こどもな、こどもっぽさ」で、これはアップデートができずに、そのまま40代に突入した状態。そしてアップデートという可能性に気づかない状態。振りまいているこどもっぽさは「こどもな、こどもっぽさ」でしかなく、「大人になりきれないんだよね(笑)症候群」はこの状態を指す。

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目指すべきは、「大人な、大人っぽさ」を身につけた上での「大人な、こどもっぽさ」。大人の洗練されたセンスと培われたマナーとセットで、いかにこどもっぽさを維持して人生を楽しめるか。わずか5%の大人のアップデートが出来る狭き門だが、きっと「1〜3」では得ることの出来ない世界がきっと「4」にはあると僕は信じているし、世の中で「こどもっぽさを残した素敵な大人」と言われている人たちは、みんなこの「4」の状態なのではないかと、思うようになった。(繰り返すが、上記パーセンテージはあくまでもぼくの感覚地である)

というようなことを、久しぶりに大人のふりかけを食べながら考えた結果、そう、これからは「大人な、こどもっぽいクリエイティブディレクション」を目指せば良いんだ!と、深夜、よくわからないテンションで熱い結論に辿り着き、誕生日を終えた。


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