丸森時間差遺産 第8話「新春初詣ドライブ」
忙しかった一日。永遠に続きそうな仕事を何とか無事に終えて車で家へ帰る途中、冷え込んできたなと思ったらヘッドライトに白く光るものが反射した。雪である。僕は暗闇をふわりと舞う雪を見ながら、祖父と初詣に行った日のことを思い出した。
昔、野球でキャッチャーをしていたという大柄な体格のイメージとは似つかわしくない、柔らかな物腰の祖父が僕は大好きだった。18歳となり車の免許をとってからは、よく祖父をドライブに誘っていたのだが、断られた記憶が無く、いつも喜んで時間をとってくれた。悩んでいるとき、話したいときに、常に話を聞いてくれる家族がいたことは、本当にありがたいことだったなと思う。そんな祖父との冬の恒例ドライブは初詣である。向かうのは「お不動さん」と地域から愛される愛敬院。昔から丸森には修験者(山伏)がいた寺が多かったらしいが、この愛敬院もその一つである。白く染まった雪道を走る車の中で、僕は助手席に座る祖父へ問いかけた。
「仕事って何のためにするの?」
当時僕は大学生で、就職活動のためのオリエンテーションや模擬面接、大学を卒業した先輩たちからの社会人は大変だぞという謎の脅しに嫌気がしていたのかもしれない。祖父は微笑んでくれたものの、答えをくれないまま愛敬院へ到着した。
肌を刺す寒さにも関わらず、参道沿いにある小川で祖父は毎回必ず手を洗い、冷たい水で口をすすぐ。バッターボックスへ向かう野球選手のルーティンのごとく、ゆっくりと所作を終えて山門へ向かう背中をいつも頼もしく思っていた。鳥居をくぐると、仁王門がある。威厳のある佇まいで迫力満点の二つの仁王像が、採用面接官のように睨みをきかせる。だが祖父はさらりとその間を抜け本堂へ向かい、鐘を鳴らして静かに手を合わせた。雪が周りの音だけでなく、僕の心のざわめきも吸収してくれているかのように、静かに、落ち着く時間だった。車に戻ると、祖父がやっと一言答えてくれた。
「楽しむためだよ」
仁王像のご利益なのか、祖父の柔軟な性格と軽快な笑顔に救われたのかはわからないが、何とか社会人になれたのは、あの言葉のおかげかもしれない。懐かしく車の助手席を眺めながら、そういえば「柔軟」にも「軽快」にも車という字が入っているな。なんて気付き、つい笑顔になった。