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何度も何度も

 お気に入りの音楽を何度も繰り返して聴くことがある。好きなメロディ・フレーズをギターやハーモニカで何度も癖のように演奏することがある。好きな映画を何度も観たりすることがある。好きな本を再び読み返したりすることがある。毎日のように愛猫の頭をなでることをする。好きな言葉を繰り返し言ったり聞いたりすることがある。何度も何度も。
 同じ物を、聴く、聞く、観る、見る、弾く、読む、を繰り返しても別段おかしなことも何もない。だったら、同じことを何度も「書く」ことをしても良いんじゃないのか。と気づかせてくれたのがチャールズ・ブコウスキーだった。昨日書いたことを今日もまた書いてもいいじゃねえか。くそったれのお利口ちゃんほどそういうことにいちいち口出しするんだよ。
 村上春樹は有名になり過ぎた。「村上春樹からの卒業」などと腐ったことを言うやつが居る。まだ入学の域にも達していないだろうに。ただしその気持ちは分からないでもない。なぜなら私も「海辺のカフカ」を読み終わったときに、村上春樹はもういいや、と思ったからである。だからそれ以降の村上春樹作品はまだ読んでいない。そしてその前に初期の未読の村上春樹作品を読んでみようと思った。私が村上春樹作品を読み始めたのは「ノルウェイの森」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」あたりからだった。
 ギターで同じフレーズを何度も弾くとそのフレーズをだんだんと流暢に弾けるようになる。そのことと、同じ内容のことを繰り返し書くこととの差は何だろうと考えたときに、村上春樹がやっていることはそれなのかなと思った。そう考えたら書かずにいられない。何でも良いから書く。たとえそれがついこないだ書いた内容と同じだとしても。どうせ誰も私の心の中なんて覗けない。覗かせない。ミスター・マリックでも無理。
 子供のころ、少年時代、国語のテスト問題で、
「このとき作者はどんな気持ちでこの文章を書いたのでしょうか」そんなもん作者に聞かんと分からんやろが死ね!と思った。あのときこの問題を見て、「死ね!」を五万回以上は心の中で叫んだと記憶している。何度も何度も。
 殺すくらいの勢いで書きたい。いったい何を殺すんだ。意味分からん。でも書くときくらいはアホになりたい。普段の生活の中でアホになることはなかなか出来ない。お客様に何を聞かれても「うんこ」と答える訳にいかない。クビになって職を失い途方に暮れる。「うんこ」って言いたいんだよ!ちくしょうめが!
 そういう訳で私は今読みたい本がたくさんある。好きな本を何度も繰り返し読むか、どんどんいろんな本をたくさん読むか、生きている間にどれだけ読めるか、そして書けるのか。そんな私だから村上春樹を卒業なんて言えない。
 でも面白くないことを何度も何度も飲みの席でしゃべられるのは辛い。「もうそれ聞くのん七千回目やで」って言うてあげても再びしゃべりやがる。何度も何度も。

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