無自覚な言葉の暴力や誹謗中傷を行うあなた方へ−誤った自由を自覚せよ−


 本日、テラスハウスに出演されている女性アスリートの方の死去のニュースが報道されました。主にSNSでの拡散が主であり、最初はトレンドに上がっているものを拝見してこの件を知りました。
 冒頭ではありますが、心からご冥福をお祈りいたします。

 本件について、詳細なことは現在調査中のようでありますが、どうやらご本人様に向けられた以前からの誹謗中傷が関係していそうであり、様々な場所から“誹謗中傷”や“言葉の暴力”についてコメントが上がっています。

 そこで–私は芸能人でもなんでもありませんが–、至る所で繰り広げられる心ない言葉や誹謗中傷に対して述べたいことがあります。


 人を傷つける加害者の方。自覚者も無自覚者も。
 こうした言動に距離を持って見守ってしまっている野次馬の方々。
 現在苦しんでいる被害者の方。
 皆様へ、送ります。


 日本には、日本国憲法第21条で表現の自由ないし言論の自由が保障が明記されています。
 これに甘えて、他者に対する誹謗中傷も許されると思っている人がいるのかもしれません。

 はっきり言ってそんなことは一ミリもない。
 表現の自由は、”思ったことをなんでも発信していい自由”とか”(自由が保障されている発言によって)他者を傷つけても問題ない”という自由ではない。

 あなたが自分なりに意見を持ち、感想を持つことは自由である。
 が、それを相手に伝えることの意味やタイミングはあなた自身の道徳によってコントロールされなければならない。

 あなたが相手に発信する意味には、大きく2つの意味合いがある。
 1つ目は相手にアクションや変化を与えるため。褒め称えることで相手の幸福度を高めたり、問題点を指摘することで改善を促す。時に感想が厳しいことであっても、それには過去を内省し未来に活かすという未来志向な要素が含まれる。
 2つ目はただの自己満足。“否定をしたい”という目的論で感想を述べ、相手を叩くこと・蔑むパターンである。これは、過去・現在・未来の全てを否定し、内省も改善も求めないという反全志向なネガディブ要素によって構成される。

 意見や感想を持つことは自由。
 それを発信する時には、あなたの道徳によってコントロールされる必要がある。
 なぜなら、発信の意味を間違えれば、相手を苦しめるだけだから。

「いいじゃないか、自由に発言して」

 そこには、自由に発言をすることの責任が存在することを自覚しなければならない。
 あなたがした相手を思わない発言で、精神的に病んでしまったら、自傷行為に至ったら、死んでしまったら、あなたは責任取れますか?
 伝えなくてもいいこと、伝え方をもっと生産的なものにすればよかったものを、あなたのエゴによって発信することで後戻りできない状況を生んでも責任取れるのですか?

 表現の自由は、誹謗中傷や言葉の暴力を容認するための都合の良い自由ではない。


 現在、誹謗中傷や言葉の暴力を楽しんでいる全ての方。
 あなたの誤った自由認識によって、人の人生を狂わすな。
 ネットや非接触メディアによって相手を追い詰めることがいかに卑怯か、この程度のことも自覚ができないのか。
 他人を叩くことで満足し、優越感に浸り、現実社会の孤独から抜け出そうとするあなた方の愚かな自己中心主義が1日でも早く改善されることを願っております。


 現在、傷ついている方々。
 あなたのためにならない”ただ傷つけるための言葉”に耳を傾ける必要はありません。
 あなたのためにかけられた言葉に耳を傾けてください。
 あなたを叩くアンチは決して多くありません。あなたを応援し、愛し、尊重する人の方が圧倒的に多く、あなたのことを想っています。
 顔が見えないこの距離からで恐縮ですが、私はあなたを応援しています。
 どうか負けないで。