怒りのメカニズム
前回まで他者との境界線を引く上で、自我を確立し強固の心の器を持っている必要があること、そのためには、傷ついた心の受容体験が繰り返され心が守られている感覚になることが大切だというお話をさせていただきました。
今日はそれに関連する話として、怒りのメカニズムについて考察していきたいと思います。
誰しも怒りという感情を持つときがあります。
例えば、
誰もが怒りを覚えることはあります。
それは人として生きる上で、正常な反応でもあります。
また、人それぞれ怒りを覚えるポイントは様々です。
ある人は、自慢話を聞かされてマウントを取られたとイライラすることも、他の人にとっては何とも思わない、ということがあります。
遅刻をして来た人が軽い感じで謝る素振りを見て、礼儀がないやつだと腹を立てる人もいれば、何とも思わない人もいます。
それは、人それぞれ大切にしている信念、価値観が違うからです。
自我を確立する上では、自分が大切にしている信念、価値観を明確にしていくわけですが、このプロセスにおいて、自分が認めない価値観については、抑圧したり排除していきます。
怒りを覚える出来事というのは、この自分が抑圧している、または排除して来た価値観に触れる出来事なので怒りを覚えるのです。
ここで、出来事に反応して感情が生まれるメカニズムについて確認しましょう。
ある出来事が起きたときに、どの立場からその出来事を見るかによって思考(解釈)が生まれ、その解釈の仕方により感情が生まれます。
他者とのコミュニケーションにより生じる怒りは、自分の信念や価値観を侵害したと解釈することで発生します。
※怒りはコミュニケーション以外の原因で発生することもあります。
ですから、怒りやすい人というのは、自分の信念や価値観をとても大事にしている人という見方もできるわけですね。
怒りを人に向けてしまうのは、その信念や価値観を他者にも求めるからで、「人それぞれ考え方や価値観はそれぞれだ」「みんな違ってそれでいい」と思えれば、人に対して怒りを覚えることもなくなります。
しかし、通りすがりの赤の他人ならまだしも、家族や職場の仲間など、身近な関係性の人ほど、信念や価値観を共有して課題を解決していくような場面があります。
身近な関係の人との人間関係にトラブルが生じるのはそのためで、同じコミュニティーに属する人々は、コミュニティーの大小はあれど、守るべき信念や価値観と、個人の自由に委ねるものを分けておく必要があります。
会社の場合、企業理念や行動指針が守るべき価値観になりますので、それをしっかり明記して、それ以外の部分は個人の価値観に任せるという文化を浸透した方が、人間関係のルールがわかりやすくなり、働く人は働きやすくなります。
それは家族においても同じことで、家族ルールを定めて、守るべきものとそうでないものを明確にしておくほど、個人は家族という枠組みの中で自由を感じることができて、家族関係はうまくいくでしょう。
自由とは制約があることで感じられるものなのです。