前略①
その頃の私は、有り体にいって退屈していたのだと思う。
漫然とした退屈を持て余し、やり過ごすことで、いたずらに日々を浪費するばかりだったのだ。
大学進学を機に故郷から上京し、そのまま卒業後は都内の企業に就職した。妥協と納得の合わせ技で、ぱっとしない日々を重ねた。そのうち自分は物語の主人公にはなれないのだとぼんやりと悟るようになっていった。
年々故郷とも縁遠くなり、都会特有の孤独と居心地の良さの漂う夜の空気にもなじみ、上京してからもう十年以上、経っていた。
結婚や恋愛を期待する瞬間も時折やってくるが、一人でいることにももうすっかり慣れてしまっている自分がいた。三十半ばにもなろうというもはや何の取り柄もない私のような人間が今更誰かと一緒になるということを想像するだけでもどことなく滑稽な気がしてしまう。
取り掛かっていた仕事がようやく一段落し、久しぶりに定時に退社できた金曜日だった。八月の盆休みがまるで半年も前だったかと錯覚させられるほど忙しい一ヵ月だった。
九月の終わり、空に漂う雲のまばらな夕方にしては、もう随分と涼しい風が吹き始めていた。
久しぶりにどうだ、という同僚の誘いを断り、電車に乗った。普段乗る時間帯よりずいぶんと早いせいで混んではいたものの、酔っ払い客から醸し出されて車両に充満するアルコール臭さがなかった。それだけで気分がよかった。
駅前の二十四時間営業のスーパーでいつもより時間をかけて買い物を済ませた。ここのところ半額の黄色いシール貼られたお惣菜すらもほとんど売られ切った後、いやにしんとした夜にばかり来ていたから、所狭しと並ぶお惣菜のコーナーに老若男女の歩き交う光景は、やけに暖かく感じられた。
まだ明るい並木道も毎日往復しているというのにやはり新鮮で不思議な気分だった。人の行き交いもまるで違うのだ。それで、妙に浮き足立ってしまったのかもしれない。家に帰ってしばらくしても何か妙な気分だった。いや、それだけがこの気分の原因では無いはずだった。正直なところ、たまたま今朝見た夢のせいで一日中ずっと感傷的な気分だった。
深く、そして浅い眠りの中で、子供の頃の夢を見たのだ。
私が住んでいたのは、どこにでもあるような田舎町だった。
山の景色に囲まれた自然豊かな町だ。いや、町というよりは土地と呼んだほうがしっくりくるようにも思うが。
高校を卒業して上京するまで私はそんな片田舎で、人に話して面白がってもらえるような、これといった特徴もない少年時代を過ごした。
とにかく、なぜか、どこか孤独で、そしてひどく懐かしい感じのする夢だったのだ。
大学を卒業して、もう十年以上同じ会社で働いていた。しかし、自分が時間ばかりを無駄にしているような気がして、焦りが込み上げることもある。
仕事から帰ってきても一人。食事もスーパーで買うか、外食で済ませてしまう。休日に出かけるような相手もいない。一体、自分は本当は何のために生きているのだろうかと考える。考えるが、そんな問いに答えなどないともう知っているのだ。
ぼんやりと、消音にしたテレビの画面を眺めながらビールを飲むうち、思考が少しずつ暗い底の方へぬかるんで滑っていくのが分かった。
展望のない将来について考える。すると、すぐにどす黒い焦りと不安がこみ上げてくる。
ビールを二本空けても、まだ頭がすっきりと冴えていた。珍しいことだった。
それで、珍しく、自分の人生というものについて、ゆっくりと考えてみることにした。
テレビの画面は、クイズ番組からビールのCMに切り替わった。ちょうど私が飲んでいるビールのCMだった。
まずは三十半ばになる自分はどうして家で一人でこうしてビールを飲んでいるのか、と。
これは簡単で、すぐに答えは見つかった。私が独身で、週末に一緒に飲みに行ったり映画を見たりしたいような恋人も友人も、同僚もいないからだった。ビールのCMが次のCMに変わった。都心の郊外の新しいファサードの一軒家に暮らす夫婦が、山に囲まれた田舎に暮らす老夫婦を訪ねるシーンが描かれていた。どうやら新しい家に住む若い夫婦と古民家の老夫婦は親子らしい。どちらの夫婦も幸せそうに見えた。不動産販売のCMだった。実家の両親のことが脳裏をかすめた。
そもそも、どうして私は東京の大学に進もうとしたのか。地元の国立大学ではなく。
次のCMは結局何の宣伝かわからないまま、電話会社のCMに切り替わってしまった。
何かきっかけがあった気がする。ふいに頭の中にうすもやがかかったかのように、思考がまとまらなくなった。CMが終わり、クイズ番組が再び始まった。
三分の一ほど残っていたビールを飲み干し、ゆっくりとため息をついた。それからテレビを消し、新しいビールを取りに立ち上がった。
暗いテレビの液晶画面に、部屋の光景がひどく歪んで映っていた。その中央に、テーブルに肘をついている男の姿があるのが、なぜか可笑しかった。ビールを一口飲むと、ゲップと涙が出てきた。いい歳にもなって、まるで青臭い大学生みたいなおセンチに浸っている自分が情けなかった。
正直に書くならば、十代の私は、物書き、つまり小説家になりたかった。それで東京に行けば小説家になれる、と思ったのだ。東京に来ることがどうして小説家になることとつながるのか、今となってはさっぱり意味不明だが、少なくとも、高校生だった頃の私は、そう思い込んでしまったのだ。大学に入ってからも、学部の勉強の傍ら、小説を書いた。しかし、いつまでも報われない徒労に、次第に私の熱は冷めてしまった。結局、人生というのはままならないものだということを学んだだけ、ましだとは思うが。
さっきよりも軽いため息を、わざとらしく一つ吐いて、テレビのリモコンを押した。画面がぱっと明るくなり、さっきまでと変わらないクイズ番組を映し出した。ちょうど、画面の中央に座るタレントが不正解を出したらしく、「×」のパネルがでかでかと光っているところだった。とにもかくにも、私がこうして退屈な日々を送っているのは、つまるところ小説家になるなどという淡いかすみのような夢を抱いてしまった愚かさが理由なのだな、と思い、缶の底の方に残っていたビールを飲み干した。
そして、ビールが喉を下るより先に、テレビを再び消した。その手つきが思ったよりも慌てているようだったことに、自分でも少し、驚いた。
いや、違う、そうではない。頭の中に、白い光が閃いた。今の私が、親しい人もおらずに東京で一人なのは、小説家になろうと切望して上京したから、ではない。惜しいが、違う。
そもそも、私が小説家になろう上京しようと思ったのは、葵さんが原因なのだ。あおいちゃん、青い姉さん、葵さん。歳をとるにつれて呼び方は変わったが、そうだ。彼女を慕って、私は上京しもしたし、小説を書いてもいたのだった。思わず深い深呼吸が漏れた。喉がひきつったように短く震えた。
そっとテレビのボタンを押した。画面が明るくなるよりも早く、もう一度ボタンを押した。画面は相変わらずしんとして暗いまま、部屋を映し出している。画面の中の私を、私は改めて眺めた。そして新しいビールを取りに、立ち上がった。
冷蔵庫の傍に立ってテレビの画面を見ると、そこに私の姿は映っていなかった。じっと見つめていると、葵さんの面影が浮かんでくるかのように思えて、私はしばらく、冷蔵庫のドアに手をかけたまま、その場でたたずんでいた。
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