その頃の私は、有り体にいって退屈していたのだと思う。 漫然とした退屈を持て余し、やり過ごすことで、いたずらに日々を浪費するばかりだったのだ。 大学進学を機に故郷から上京し、そのまま卒業後は都内の企業に就職した。妥協と納得の合わせ技で、ぱっとしない日々を重ねた。そのうち自分は物語の主人公にはなれないのだとぼんやりと悟るようになっていった。 年々故郷とも縁遠くなり、都会特有の孤独と居心地の良さの漂う夜の空気にもなじみ、上京してからもう十年以上、経っていた。 結婚や恋愛を期待する
もう何年も前に二十四時間営業を止めていたのを忘れて、エジンバラの前まで来た私と、そこをたまたま通りがかったみどりが再会する。それはあまりにもできすぎた偶然で、一瞬私は夢を見ているのではないかと思った。 それはみどりも同じだったようで、私たちはしばらくの間呆然と見つめあったまま、その場にただずんでいた。 「ほんとにナギサくんだ」 みどりはぱちぱちとまばたきをして、しみじみとそう言った。あまりに唐突な再会に、みどりも私も、互いにどんな態度を取ればいいのか、つかみあぐねていた。な
新規のプロジェクトのクライアントとの何度目かの打ち合わせの後、簡単な飲み会を設けることになった。プロジェクトのスケジュールにも見通しがついたし、課題の克服への目処も立ったところだったから、タイミングとしてはたしかに申し分なかった。 そういう飲み会は好きではないが、残念ながらと言うべきか、私はこの案件のチームリーダーにアサインされていたから、さすがに上司や後輩に押し付けて自分だけ参加しないわけにはいかなかった。 飲み会の提案者である私の上司は、陽の傾きはじめた十六時ごろから
「もう一度生まれ変わってもまた巡り会いたい人。そういう人が、三崎さんにはいますか?」 桜子さんのその言葉が、いつまでも耳に残っていた。 エジンバラを出た後、せっかくお会いできたんだし少し飲みませんか、という桜子さんの提案で、末広通りの昼もやっている飲み屋に入った。 桜子さんは、大森と二人の時でもお酒を嗜むという。 大森はノンアルコールビールで、桜子さんと私は生ビールで乾杯した。桜子さんはお酒が好きらしく、上品に飲み進めた。大森はノンアルコールのビールをなめらかに飲み、私も何
「改めて言われると言いにくいな」 と、大森は苦笑して、ピラフを平らげにかかった。空になった皿をテーブルの端にやると、大森はコーヒーをすすった。私もコーヒーに口をつけて、彼の言葉を待った。 どんな話を切り出そうとしているのか、見当もつかなかった。 「この前、本当は話そうと思ってたんだけど、なかなかタイミングがつかめなくてな」 「お金にでも困ってるのか」 「違うよ。実はさ、結婚しようと思ってるんだ」 「へぇ」 意外だったが、不思議と驚きはしなかった。 「この前言ってた彼女?」
お酒が入っていたこともあって、気が緩んでいたのは確かだった。エジンバラの前を通りながら、みどりの事は思い浮かばなかったのだ、まったく少しも。 キスといっても、幼稚園児がじゃれつくように、軽く唇を重ねただけだった。とは言え、そんなのは言い訳にもならない。 キスをして、互いに微笑みを浮かべかけたところで、 「何してるの」 という声が聞こえた。トゲのあるその声に振り向いてみると、エジンバラの制服を着たみどりが立っていた。驚きと怒りの浮かんだ表情が、店のネオンの光に照らされていた
初めてそうやって一夜を過ごしてからというもの、みどりと私は一気に親しくなっていった。みどりは変わらず歌舞伎町のコマ劇場の裏手にエジンバラでアルバイトを続けていたし、一方の私はと言えば、葵さんと会わなくなったこともあって、エジンバラからは遠ざかっていた。一人で行ってみようかとも思ったが、みどりの手前、気恥ずかしくて、やめた。 それはある意味、お互いのプライベートの時間や空間に干渉しすぎないようにしようとするような、初々しい遠慮と気恥ずかしさの表れだったのかもしれない。急激に距
みどりと付き合うようになるまで、時間はかからなかった。 ゼミの飲み会がお開きになると、みどりと私は二人だけで二次会に流れた。 新宿の飲み屋街から、甲州街道を通って三丁目の方に向かっていた。みどりは店を出ると、意外としっかりとした足取りだった。私が思っていたより先に強いらしい。四月の夜風は、まだいくぶん肌寒かった。 みどりは両腕を心もとなくさすっていたが、信号を渡り、駅の南口の前を通り過ぎると、並んで歩く私を見上げ、肩を寄せてきた。かすかな甘さの漂う夜風と、みどりの髪の匂いが
すでに記したように、みどりとは大学三年の春、ゼミが同じだったことがきっかけで知り合い、すぐに付き合い始めた。四月の終わり、ゼミ生の顔合わせのために、と酒好きの教授が開いてくれた懇親会で、みどりと初めて口を聞いた。 私はちょうどその頃、葵さんに彼氏がいたことを初めて知って、手ひどい傷を受けていた。つまり、二十歳を過ぎたというのに、まるで中学生か高校生みたいに、わかりやすくやさぐれていた。 ただ、反抗期の中高生ならまだしも、私はすでに成人のはしくれだった。だから、もっぱらやけ
大森が酒浸りだったのは、期間て言うとせいぜい一年かそこらだったと思う。そのうちの前半はしばしば私は大森と会っていたが、後半はよく知らない。 大森が仕事を辞めて、住んでいたアパートを引っ越し、それにともなって連絡が遠のいたからだ。当時付き合いのあった友人たちの中には、大森が職場の女と不倫していたのでは、とまことしやかに物語るやつもいた。真相はわからないが。 そして、その頃の私はと言えば、仕事がようやく面白く感じられるようになりつつあった。同じ部署に何人か後輩もでき、重要なポ
結局、一時間ばかりそんなふうな取り留めない話をしただけで、私たちは店を出た。まだ日の高い昼間だった。 「まだ昼はちょっとあったかいな。三崎、この後何か用事あるの」 歌舞伎町の目抜き通りを靖国通りの方へと歩いた。 いつ来ても、雑多な人混みだった。 「別にないよ。大森は?」 「俺もだ。どうする、久しぶりに三丁目のほうの飲み屋でも行くか」 「でも、お前は飲まないんだろう」 「まあな。でも、全然気にしなくていいよ。な、行こうぜ」 大森はそう言ったが、酒を一切やめたという十年以上の
目覚ましをかけずに迎える土曜日の朝はずいぶんと久しぶりだった。たったの三日しかなかった盆休みがもう半年以上前のように感じられるほど、慌ただしい二カ月間だった。 カーテンを開いてベランダの窓を開けると、十月のよく晴れた朝の風が流れ込んできた。昨夜、久しぶりのビールを飲みながら、今更どうにもしようがないことをあれやこれやと振り返ったせいか、葵さんの夢を見た。 夢の中では、それこそちょうど私は小学五年生の、あの台風の夜に戻っていた。夢は、ナツ兄がいなくなった後の場面から始まった
「どうしたの。台風こわい?」 私のまなざしに気づいて、葵さんが言った。そのまっすぐできれいな瞳は、いくらか私の気持ちを和らげてくれた。 「ううん。でも、ナツ兄、ほんとにどっか行っちゃったよ?」 「そうだね。ナツ、何か言ってた?」 「ほかに行くところあるって」 「ああ、そっか。なるほどね」 と、葵さんは何かに納得したように視線を宙に向けた。 「ねえ、ほんとにもう戻ってこない?」 「うーん、どうだろう。戻ってこないんじゃないかなあ。だから今日はわたしとお泊まりしよっか」
私が生まれ育ったのは、瀬戸内海を望む、人口千人程度の、海と山に囲まれた、まるで離れ小島のような集落だった。街らしい街へは車で小一時間かかるので、十代の、学校に通う子どもたちの暮らしというのもどうしてもノスタルジックな香りのする、昔ながらのものにならざるをえなかった。 小学五年生までは分校に通い、六年生の一年間だけ小高い山を越えた町の本校に通った。私の家がある集落よりも、その山一つ分だけ海に開けたその町は、かつては採石でも栄えたらしいが、私の子供時代にはすでに漁業に頼るほかな
急な呼び出しは、ホテルでの撮影。 回転ベットの部屋でした。 初めて入るその部屋で、彼女は何を思ったか足を絡めてきた。 その時の僕は、撮影をする人とは何もしないと決めていたので、何事もなかったかのようにスルーをした。 というか臆病だったのだ。 それでも撮影は楽しく、終始激しく楽しく撮影をした。 実はこの前日くらいに、ドタキャンをくらっている。 ホテルの最寄りのマックで時間を潰してると来れないということが判明。 その悲しさを紛らわすかのように、スナップを撮り今回のものにまと
決起集会もたけなわ、彼氏からの電話がなった。 「家にいるから帰らなくちゃ」 青島ビールを飲み干す。 一人で家に戻る道中、どんな作品になるのか想像で一杯だった。 数々のモデルと向き合ってきたが、一人だけのモデルと共に作り上げる作品は何せ初めてだ。 関係性?その人?何を撮ろうか。 しばらくは、TwitterのDMでやりとり。 彼女のいろいろを知る。楽しい。 「ダメもと、今日夜空いてますか?」 それは11月も終わる日でした。