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手抜きはバレれるよ。周りにも自分にも。

こんにちは、守屋です。

人生の全てにおいて全力で取り組むという人は珍しいかと思います。どこかで自分なりに妥協点を見つけて生きているのではないでしょうか。

依頼された仕事。自分が作り出す作品。

サービスや応援など、全力で取り組まなければいけない自分の生き甲斐となる部分に手抜きをするとどうなるのでしょうか。

手抜きは、目指す目標や夢に対する妥協

サッカー選手に限らず、スポーツ選手は日々勝利のためにトレーニングに取り組んでいます。勝利から逆計算して何が必要であるべきか改善の毎日です。

ある選手は自主練の最中に身体にダルさを感じて、いつものように集中して取り組むことが出来ずにいました。自主練のため誰も見ていません。残りの時間に自主練をしようが切り上げようが怒る人は誰一人としていません。

悩んだ結果「今日は調子が悪い。明日その分やればいい。」と自分に言い聞かせて切り上げました。

翌日、チーム練習の最中に接触プレーによって怪我をしてしまい、リハビリ生活となってしまいました。

このような話は良くあるかと言われれば、全てのスポーツ選手に調査をしたわけではありませんが、実際に

・レギュラーとサブ組
・高校の1軍と3軍
・世界を目指している選手と今で満足している選手

など、妥協と拘りの境界線は目指している目標に対してどれだけ真剣かによるものなので無いとは決して言い切れません。

全力でやった結果なら仕方ない。真剣のフリは見る人がみれば分かる

20本ダッシュをすると言われて、20本全力でやる人もいるでしょう。中には自分の中で5本目、6本目、19本目、20本目と集中して走る本数を決めている人もいるかも知れません。隣の選手と同じレベルに合わせてダッシュする人もいるかも知れません。

ここで伝えたいのは全力でやろうとした結果、出来ないなら仕方ないと周りに伝わり、逆に手抜きをした時点でそれも周りに伝わってしまうということです。

真剣にやっているフリ。
真剣に考えているフリ。
真剣に料理を提供しているフリ。
真剣に応援しているフリ。

というのは、見る人が見ればわかってしまいます。逆に真剣に取り組んでいる、考えている、料理を作っている、応援しているというのも伝わります。

手抜きは自分に対しても罪悪感が残る

手抜きというのは周りに伝わるのと同時に、自分自身に一番に伝わります。

そして「これくらいで良いかな。」と思った手抜きの作品やサービス、商品や行動というのは罪悪感が残り、もし脚光を浴びることがあったとき後ろめたさを感じるものです。

「適当に書いた記事がなんか拡散されている…本当はそこまで深く感動していないのに…」

など経験した人はいるかも知れません。

手抜き自体が悪いわけではなく、本当に大事にしなければいけないものに手抜きをしてしまうと、自分の限界を知ることも出来ず、手抜きをしてしまったことは周りや自分が感じ取り、残るのは達成感ではなく罪悪感となります。

何か本気で目指していること、取り組んでいることに手抜きが多くなっているなと感じる人は、その心残りは一生の後悔となるかも知れませんので気を付けて下さいね。

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