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特別公開『ヴィゴツキー心理学 完全読本 ~「最近接発達の領域」と「内言」の概念を読み解く~』

37歳の若さで惜しまれながら世を去ったベラルーシ出身の心理学者、ヴィゴツキー。100年前に活躍した彼の理論が、今、「新しい!」と注目が高まっています。一方で「難しい」「手軽な入門書が見つからない」などと敬遠されがちなのも事実。これはチョッピリ残念なことです。

そんな評判を覆す一冊を、ここに一部特別公開します!


この書籍は、ヴィゴツキーの心理学理論について、その解説を試みるもの。とはいえ、一般的な概説書のように、概要を端から端まで説明することはありません。
ヴィゴツキー理論の中でも特に話題になることの多い「最近接発達の領域(発達の最近接領域)」「内言」だけを取り上げて、解説します。

これらのトピックスは、極めて有名であるにも関わらず、その理解は極めて表面的・断片的なものにとどまっている、と著者は指摘します。
そのような理解のズレを改めて見直し、本質と切り離すことなく解説します。読み込むうちに、ヴィゴツキー理論の中心点が浮き彫りにされていく、というスグレモノ。

ということで、著者の誠実な想いが詰まった「あとがき」を大公開!
どうぞお楽しみください。

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あとがき

ある理論のある一つの用語や概念を知る、とはどういうことなのだろうか。その理論の全体構造を把握していない時期にそれを知っているということと、おおまかであれ、全体的な構造の組み立ての中でそれを知っているということとでは、その知識の質に雲泥の差が生ずることは明らかである。

私自身、 大学院生の頃から40歳前後まで、確かにヴィゴツキー理論のある用語や概念については知っていたし、時々に書いた拙論の中で、それらを引用して自分の主張の論拠にしたりしていた。しかし、その知り方は深い理解に裏付けられたものではなく、きわめて断片的で、とおりいっぺんの薄いものに過ぎなかったし、誤っている知識さえあった。そのことは、今の時点に立って見ると実によくわかる。

例えば、1992年に出版された『発達心理学ハンドブック』(福村出版)の中で、私は「レオンチェフの活動理論」という節を執筆しているが、その中でヴィゴツキーに触れて次のように書いているのである。*(中略)*。これは、今から見れば、顔から火が出るほどの全く誤った内容の一文である。そこを読まれた方にはお詫びしなくてはならない。

この拙稿を編集者に送ったのは、その出版よりずいぶん早い時期で、1989年前後だったと記憶している。その頃、私は、自分のこれまでのような腰の落ち着かない研究姿勢に嫌気がさし、ようやく本気でヴィゴツキーを研究しようと決意し、ヴィゴツキーの基本文献を年代順に読む作業を始めたところであった。ロシア語を読む力も未熟で、なかなか先へ進まなかったりで、ようやく初期の文献を読み終えたところに過ぎず、理論の全体構造を把握することからは程遠い状態にあった。

それにもかかわらず、晩年のレオーンチェフが書いていたヴィゴツキーについての解説などを鵜呑みにして、外的活動の内的活動への内化というレオーンチェフ流の図式をヴィゴツキーにも当てはめて、先のような活動理論的な一文を書いてしまったのである。本当は、ヴィゴツキー理論が活動理論ではないので、「*(中略)*」などという記述は、実際には、ヴィゴツキー理論とは全く無縁であるのに、そのときは、そう思い込んでしまっていたのである。もしこのときに、私が一知半解の知識ではなく、ヴィゴツキー理論の全体構造を把握していたならば、このような一文は書かれようがなかったはずである。

 事実、私が間違いに気がつき、ヴィゴツキー理論は活動理論ではないことを知るようになったのは、ヴィゴツキーの文献のうち、1928年から1930年代に書かれたものをある程度まとまって読み進めていって、ヴィゴツキー理論の全体像がおよそ見え始めてからであった。それは1994年の夏ごろであり、その年の秋に行われた心理科学研究会のシンポジウムで、その主旨の発表したのが最初であった。

なぜ、こんな私ごとをここに披露したかというと、ヴィゴツキー理論をめぐる、少なくともわが国での知識の現状は、今のところ、理論の全体構造を把握しないままの知識水準にとどまっている、と私には思われてならないからだ。つまり、私がおかしたような理解不足や誤りを、それとは知らないままに--なぜならば、理論の全体構造を把握していないので、そのことに気がつかないから--、ヴィゴツキー理論の用語や概念を解釈していると思われてならないのである。

例えば、何の論証もせずに、ヴィゴツキー理論を活動理論だと書いている人が多い現状。アナロジーとしては対比されるが、ヴィゴツキー自身はその役割が違うということではっきりと区別している記号と道具を、同じアーティファクトとして一括りにして、そこにヴィゴツキー理論の特徴を見る人が結構いる現状。最近接発達の領域は子どもの知能の発達水準を示す概念であるにも関わらず、 子どもの活動と共同活動との差であるとか、個人の日常的な行為と社会レベルの活動との距離であるといった理解が通用している現状。心理間機能としての共同活動の効果を教育技術的に探求することにのみ関心が持たれ、子どもに習得された文化的方法がどのように心理内機能として自覚的・随意的なものに発達していくのか、その過程を解明することには目が向けられない現状。内言論が人格論として把握されていない現状・・・など、いくつもの例を挙げることができる。

私は、こうした現状に一石を投じ、ヴィゴツキー理論に関心のある人たちには、少なくともヴィゴツキー理論の全体構造の中でその用語や概念を理解してもらいたいと考え、その一助となればと思い、この小著の出版を思い立った。 あえてよく知られた「最近接発達の領域」と「内言」の概念について取り上げた理由は、「はじめに」のところで書いたとおりであるが、同時に、この二つの概念はよく知られているがゆえにこそ、その知識が理論の全体構造を反映したものである場合とそうでない場合とで、その対比が読者にはっきり示されやすいと考えたからである。果たしてこうした目論見が成功したかどうかは、やはり読者の判断に委ねられるべきものであろう。 

*(中略)*

なお、この小著をブルシュリーンスキー先生に捧げたい。先生は2002年1月30日に、突然襲った暴力により悲劇的な死を遂げられた。70歳の誕生日を待たずしての非業の最期であった。先生から学んだことの中で最大のものは、その研究の誠実性であった。その他にも多くの教えを受けながら、それに見合うだけの研究成果を上げられていないことを、私はいま申し訳なく思っている。この気持ちを今後の研鑽へとつなげていきたい。

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日本では、多くのヴィゴツキー関連書籍は「ロシア語→英語→日本語」と、2段階の翻訳を経ています。しかし、本書はロシア語の原書をもとに掛かれています。言語の壁を超える段階を一つ減らすことで、もう一歩、ヴィゴツキーの生の声に近づくことができるでしょう。

総ページ数は100ページ足らずと薄く、読みやすく、しかしながら内容は濃厚かつ本質的。ヴィゴツキー理論のエッセンスがギュッと詰まった、おすすめの一冊です。


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