「見守る」が日本から消える
子どもの成長を見守る
って大切だと思いますか?
こう言われると、当たり前じゃん!と言いたくなるかもしれません。
それこそ保育士さんであれば、先輩から口すっぱく言われた!なんて人もいると思います。「待ちの保育」なんて言葉があるように「見守る」は日本人保育士の常識として根付いてきました。
日本政府の資料にも、
と書いてあるくらいです。
だけどこれ、日本独自の文化らしいです !
「見守る」なんて言語道断?
30年以上前(だいぶさかのぼりますが)「見守る」は世界各国の教育学者たちを驚かせました。というのも当時、子どもたちをあえて放置するなんて言語道断だったんです。
アメリカのイェール大学の研究チームによって、見守る(Mimamoru)は日本独自の保育実践として紹介されました(Tobin et al., 1989)。
この研究チームが言うには、日本人保育士は子どもを放置しているのではなく「観察して待つことによって教えている」と考察しています。これって今も変わってないと思いませんか?
「見守る」が消える?
これが近い将来なくなるかもしれません。
原因のひとつは「見守る」が理論として確立されていないこと。研究している教育学者はいるのですが、日本政府はただ文化として認めてきただけ。これをあえて残そうという動きはありません。
それが今、時代の流れもあり消えてしまいつつあります。「殴り合って怪我をしてもいいのか」「いじめられている子を放置するのか」といったリスクを見過ごせなくなってきたからです。
こんな今だからこそ「見守る」の必要性について考えてみませんか?
「見守る」は必要なのか?
結論から言うと、必要です!
見守ることで非認知能力を育てられるかもしれません(Nakatsubo et al., 2021)。例えば、おもちゃの取り合いになっても話し合って解決できた、という経験によってその子の問題解決能力や自制心が養われます。
もちろん殴り合いになれば怪我をするリスクはあります。だけどこれをいつも「この子たちは手が出るから」と止めてしまうと、成長の機会を奪っていることになりますよね。
非認知能力の重要性が高まってきている今、それを伸ばしてあげられる選択肢として「見守る」には存在意義があるのではないでしょうか。
「見守る」を残すには
この保育実践を残したい !という人のためにポイントをまとめました。
◎ まずは深呼吸
喧嘩が始まったと同時に声をかけていませんか?まずは深呼吸して、本当に大人からのサポートが必要なのかどうか考えてみましょう。
◎ タイミングに慣れる
ここで手が出る !というタイミングってありますよね。その直前までは待ってもいいかも。慣れてくると声のトーンなど癖でわかったりします。
◎ 先生に圧力をかけすぎない
子どもは喧嘩します。怪我もします。わかってはいても過保護になっていませんか?先生が敏感になると子どもの行動まで制限されてしまうかも。
最後に
「見守る」は選択肢です。
いつもこれが解決策になるわけではありません。リスクもあります。
だけど残しておくだけの価値があるはず。
かつては日本独自と言われてきた選択肢がなくなってしまいそうな今、このことをより多くの人に知ってもらえたらと心から願っています !
ではまたっ