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【神道】 神様とは(4) 神様となる儀式

この投稿は続きです。よろしければ先に下記の投稿をお読みください。
神様とは(1) ・神様とは(2) ・神様とは(3)

 前回では、家康公は子孫と江戸幕府を護るために、神として祀られることを望んだことを確認しました。この願いには、死後も人は現世に影響を与えることが可能であると信じられていた共通認識がありますが、神様となるには手順(儀式)が必要になります。今回は少し脇道に外れて、神葬祭(しんそうさい)について投稿します。

神葬祭の始まり

 多くの日本人は仏教形式でお葬式をすることでしょう。これが民衆に定着したのは江戸幕府が檀家制度を敷いたためです。対して、神道形式のお葬式が神葬祭です。神葬祭は、死者を慰め、残された家族の守り神としてお祀りする儀式です。子孫の守り神になるとは、まさに家康公が望んだことです。
 神葬祭の源流は古代日本の葬送儀礼となりますが、現形式の直接的な始まりは室町時代と目されます。この頃は神仏習合(神道と仏教は同じという考え)が当然の時代でありましたが、吉田兼倶(よしだかねとも)公は仏教と神道の関係性を見直し、吉田神道(唯一神道)を打ち立てました。

ざっくり解説
 吉田神道(唯一神道)の特徴は、神道こそが根本であり、仏教や儒教は神道の仮の姿して世に広まったと捉えている点。仏教理論の本地垂迹説と真逆の思考。
 吉田神道は室町幕府の支援を受けて神道界の中心的集団になり、その権勢は明治維新まで続いた。

 兼倶公は仏僧の介在しない葬儀を志向し、現代に続く神葬祭の基礎を整えました。そして、死者を祀るために神道式の儀式を行って、神社を建立するという形式が成立します。この流れの延長線上で、家康公が神として祀られることが可能になり、近代の偉人たちの神社創建ともつながっていきます。
 では、室町時代以前には、人を神として祀る神社は無かったのでしょうか。いいえ、存在しています。その代表格が天神様こと菅原道真公です。しかし、祀られるまでの経緯が全く異なります。次回は天神様を中心に、平安時代に祀られた神様を投稿します。

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店主略歴

 広告代理店とデザイン会社の勤務を通じて日本文化に関心を持つ。國學院大學へ入学、宗教学(古代神道、宗教考古学)を専攻。神社本庁の神職資格(明階)を取得し、卒業後に都内神社にて神職の実務経験を積む。現在は家業の薬店を経営。登録販売者資格保有。


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