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プロの言う事は必ず正しいのか
紅茶のポットを買い替えたので、ポットサービスの方法も変えることになった。
今までは自分の感覚で辿り着いた配分で淹れていたのだけど、改めて「一般的」や「正しい」淹れ方を検索してみることに。
どれを見ても茶葉3g (前後)、お湯150ml (前後)になっているが、自分(達)にとってはどうにも濃すぎる。
しかしこれが正しい。プロも口を揃えてこれだけは守って下さいと書いている。
私の心地よい配分は間違っているらしい。正しいって残酷だ。
そもそもプロの言う事は必ず正しいのだろうか。仮にその時代では正しかったとして、今の時代にフィットしているのだろうか。
権威的な人が最初に言ってしまったが為に、後からは誰も、本当の正しさを口に出せなくなってしまっているのではないだろうか。(発しても、呑み込まれてしまっているケースもあるだろう)
本当はみんな「?」マークを浮かべながら、でもこれが正しいんだからって、自分を納得させているんじゃないだろうか。
これらはあらゆる業界にありそうだ。
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その人が持つイメージの質に、よいも悪いも優劣はないと思う。
人が「才能」という言葉を使う時、僕は「その人が持つイメージを外に表せる能力」のことをいつも思い浮かべる。
同じ「ド」の音を出すのでも、イメージさえあれば、子どものうれしさを表すこともできるし、 宇宙を巡る星々の流れを表すことだってできる。
イメージさえあれば。
自分にいつも見えている北極星のようなもの。
見えているのなら、やはり外に表したほうがいい。
それは(一般的に、識者的に)正しく無い方法だとしても。
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