子供の前でそれをやって恥ずかしくないか
(年末に仕込んで寝かせ(力尽き)てたので、日付などの修正無し)
自分が歳を重ねたからなのか、時代が進むと共に、この島国でも多少は世界が身近になっからなのか、世界平和という文字に、それを発した人の気持ちに、心から賛同するようになっていた。
今年は12/24が定休日にあたり、函館の隣町、北斗市にあるトラピスト修道院に行けるという幸運が巡ってきた。
クリスマスまでの短い期間、ライトアップがされていて、24日だけはキャンドルの灯が灯される日。
函館市内はクリスマス!という日本的な華やかなムードですが、こちらは本来のChristmasらしい雰囲気。
さらに、氷点下の空気が、雪の静けさが、邪なものの入り込めない結界を張っているような神聖な雰囲気に。
この向こうに、日々、祈り、働いて暮らしている人々がいる。
冒頭に述べたように、いつの間にか、他人の幸せを心から願えるようになっていた。
祈りが生活に組み込まれるようになっていた。
思い返せば、幼少期に見たアフリカの貧困のドキュメンタリー番組を見た時から、その芽は育まれ続けいたのかもしれない。
自分の過剰に豊かさを求める暮らしが、どこかに負担を与えているという罪悪感から、祈り始めたのかもしれない。
歳がいって、いつの間にか咲いていたのだろう。
本当に、心から他人の幸せを願えるようになっていた。
自分でも信じられないけれど、本当に。
年に一度、ふらっと現れて、コーヒーを飲んで一息ついて帰っていく人がいた。
ある日、料理人だと知り、綴られる言葉を読む日々を重ね、信頼のメーターが上がり続け、遂には振り切れた。
陸奥の方角を向けば、いつもこの灯台から光が発せられている。
時代の暗雲に飲み込まれそうな時、その安心感たるや。
昨日の投稿には痺れた。
子供の前でそれをやって恥ずかしくないか。
ドキッとしたんじゃないでしょうか。
ズキっとしたんじゃないでしょうか。
あなたも、痺れたんじゃないでしょうか。