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ナワリヌイに何かを夢想するのは日本の国益にならないかもしれない

前回、

反プーチンだったナワリヌイ。でも、帝国主義的、排外主義的な感覚はプーチンと一緒|天乃川シン (note.com)

――という記事をご覧いただいたが、私はアレクセイ・ナワリヌイという男は民主的な人物でも何でもなく、プーチンと同じく帝国主義的、排外主義的な危険人物だと断定している。

仮にナワリヌイがプーチンを排して大統領になったとしても、彼はプーチンと同じように周辺国に侵攻していった事だろうと考えてもいる。


2022年のドキュメンタリー映画「ナワリヌイ」は、ナワリヌイを自由の闘志といった扱いで描いているが、私はどうも西側の人たちが彼を持ち上げ過ぎているように思えてしまい歯がゆい思いをしている。

ご存じの通り2022年2月24日にロシアはウクライナに軍事侵攻したワケだが、ロシアは暴虐の限りを尽くしている。ブチャの虐殺をはじめ、ロシア軍は筆舌に尽くし難い蛮行を繰り広げている。

日本も大東亜戦争終結直後、多くの婦女子がソ連軍に虐殺、強姦された。知らない人も多いだろうが、ソ連軍は日本人にもウクライナで働いているような蛮行を働いたのだ。

従って、私はプーチンやナワリヌイはもちろん、もはやロシア人一般についても、程度の差こそあれ、彼らは須らく帝国主義的、排外主義的な連中であり、残忍な心性を備えていると危険視している。

だから私は、主に西側の人たちに定着しつつある肯定的なナワリヌイ観に対して強い危機感を覚えるのだ。もっと、ナワリヌイを疑えと。もっと、ロシア人を疑えと。差別的だと思われようが、私はそう考えている。

なぜ西側の人たちはナワリヌイを肯定的に見ているのかというと、ウクライナ支援に疲れが生じてしまっている自分たち自身に対する罪悪感から眼を逸らしていたい、いったん自分たち自身の事を忘れてプーチンという悪に立ち向かった英雄に酔っていてしまいたい、うっとりしていたい。――おおよそ、こんな無意識の感覚が働いているんじゃないかと思っている。

どうも西側の――主にアングロ・サクソンかと思うが、彼らは遠い異国の何者からに妙な幻想を抱きウットリと夢想する癖があるように見える。



上記は漫画家の小林よしのり氏の著書、「戦争論(2か3)」の一部を抜粋して誰かが作成した動画だが、ここでは戦前のアメリカ人らが中国に誤った幻想を抱き勝手にうっとりしているサマがよく描かれている。そして、その背後には当時の日本に対する脅威が潜んでいるようだが、ナワリヌイ賛美の背後にプーチンやロシアに対する脅威が潜んでいる事と重なって見えなくもない。

以下、アングロ・サクソンがウットリしている気持ちの悪い箇所を文字起こしする。どうも、この感覚は現在ナワリヌイに抱いているような感覚と同じだと思えてならないからだ。


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アメリカの世界地図では中国も日本も右端の隅っこ、「極東(ごくひがし)」にある。

一般のアメリカ人は日本とアメリカが海をはさんで隣り合わせで、そのすぐ隣りに中国があるという意識はなく、中国も日本も「世界の外」のような感覚だった。

さて、全く理解しがたい話だが、アメリカ人は自国に来たシナ人は徹底的に差別し、排斥していながら…遠い大陸の「中国」には妄想に近いロマンチックな幻想を抱いていた。

その幻想は1920年代後半から始まり、30年代にはパール・バックのノーベル賞受賞作「大地」に描かれた、貧しく悲しい中国人の姿が感動を呼んだ。

さらに当時の大流行作家、ジェームズ・ヒルトンは、中国奥地に神秘的な理想郷、「シャングリラ」があるという荒唐無稽な小説、「失われた地平線」を書き、これが巨匠フランク・キャプラの映画となって空前のヒットとなった。

また、エドガー・スノーの「中国の赤い星」は、毛沢東の中国をアメリカの「フロンティア・スピリット」にも似た、雄大な不屈の精神として描き出し、共産主義者以外の多くのアメリカ人にも大反響となった。

「タイム」「ライフ」を創刊、ラジオ・映画ニュースにも大きな影響力を持った「出版界の神様」ヘンリー・ルースは、宣教師を父に中国で育ったという個人的な思い入れから、親中・反日の報道に徹し、蒋介石夫妻を「自由中国」の象徴と絶賛した。

かくしてアメリカ人は民主国家を目指して苦難の道程を歩むありもしない美しき中国の姿を夢想し、その中国を助けてあげたいと陶酔したのだ。

「蒋介石は中国のジョージ・ワシントンだ!」
「毛沢東は中国のリンカーンだ!」
「中国とアメリカは双子の国だ!」
「中国人は理想を具現する闘士だ!」
「中国人は名誉西洋人だ!」

…現地の外交官がいくら現実を説明しても、本国政府の理解は鈍かった。

こういう奇妙なアメリカ人の性癖を 後に、ド=ゴールは、こう切り捨てた。

「自分の物質的な力に浮かれ、もはや自分の精力の十分なはけ口が自身の中にないと感じ、どこかで屈従の身にあるものを助けたいと思い、支配欲をひそませた、あの干渉趣味」


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とりあえず、抜粋は以上となる。

どうも、私は戦前のアメリカ人が中国や中国人を見るような感覚と、現在の打倒プーチンの夢半ばで死んでしまったナワリヌイを見る感覚に共通点を感じてしまう。

状況こそ違えど、アングロ・サクソンはまたまたお得意の夢想癖を発動させてしまっていないだろうか?

今回の記事はロシアを警戒するあまり、私自身が妄想を働かせてしまい、本来は繋がる筈のない事柄を強引に繋げて騒いでいるだけかもしれない。

しかし、私はやはりナワリヌイはもちろん、申し訳ないが一般のロシア人も信用する事が難しくなっているのだ。

私が絶対に防ぎたいのはロシアが日本に侵攻し、日本の女性や子供を虐殺、強姦する事なのだ。ウクライナで被害に遭った人たちには本当に申し訳ないが、私はウクライナの女性や子供が経験した地獄を日本の女性や子供に経験させたくないのだ。

そもそも、過去に日本の女性や子どももソ連軍によって残虐な目に遭わされている。過去に我々も経験があるのだ。私は二度とあんな事が起きてほしくないのだ。

だから、ナワリヌイを全面的に賞賛するような雰囲気には最大限の警戒心が働くのだ。

さらに付言するならば、だからこそ私はウクライナを応援しているとも言える。ウクライナの事をまるで知らなかった私がウクライナの事を調べて思った事は、「大した国が隠れていたものだ」――という感動だった。キエフ・ルーシやコサックや、素晴らしいポテンシャルを持った国なのだ。

私はロシアを撃退したウクライナは、日本の対露政策上、非常に有用な親日国になってくれるだろうという直感にも似た思いを抱いている。賄賂が横行するなど良くない部分は色々とあるのだけれども、ロシアを破ったウクライナは軍事的なノウハウをたくさん備えた世界でも類を見ない勇敢で結束した国家になるに違いないのだ。

だから、言い方は悪いが全力で恩を売っておく必要があるのだ。ナワリヌイなんかに感動している場合じゃない。ただただウクライナを支援し続ける事が大事なのだ。それは、ロシアの日本侵攻を阻止し、日本の女性や子供を守る事に絶対に繋がるのだ。

ナワリヌイが愛国者かどうか、それもひとまずどうでも良い。ひとまず、ナワリヌイを危険視しておいた方が日本の国益になるのではないだろうか?








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