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【本】今振り返ることで、新たな視点が手に入った~「40歳を過ぎたら、働き方を変えなさい」再読①

少しずつ勝手にライフワーク化している感のある、ビジネス書再読シリーズを再始動していきたいと思います。昨年は本田健さんの「20代、30代のうちにしておきたい17のこと」という連作を紹介しましたので、いよいよ現年齢に近づき(笑)、佐々木常夫さんの「40歳を過ぎたら、働き方を変えなさい」を取り上げてみたいと思います。

佐々木さんは東レに勤務され、ご家族のご病気介抱の傍ら、仕事でも全力投球し、取締役までなられた「偉人」。現在は独立されて活躍されているようですが、本書は佐々木さんがメディアで脚光を浴びた時期に出されたもの。「ライフ・ワーク・バランス」などという言葉がない時代に、すでにこの考えを取り入れ、仕事と家庭の両立を見事に果たされたということで、今読んでみても「目から鱗」話が満載です。では早速一緒に体験していきましょう。


『ムダなものを省く=不要なものを「略す」』

「略す」とは戦国一の知将・毛利元就の戦い方を表す言葉。毛利元就は弱小国の領主として戦い生き残る知恵を「無駄な戦いはしない」、「できるだけ戦を避ける」という策に見出した。戦いに勝ち残るには、戦は最小限にとどめ、余計な血は流さない。元就は文字通り「戦いを略す」という戦略を取ることによって、周囲の大国を打ち破り、中国地方の覇権を見事に手にした。

「40歳を過ぎたら、働き方を変えなさい」佐々木常夫より

合理的な発想を持つ

戦国武将でも人気のある毛利元就。弱小領主から中国地方を一代で治めるまでには「頭脳」勝負があったわけで、まさに「知将」という名が相応しい武将の一人で、私も大好きです。武力だけでなく、知力で戦う・・・カッコいですよね。ですから非常に「合理的」な発想の持ち主。ちなみに「三本の矢」で有名な元就の三兄弟ですが、私は三男の小早川隆景派です。父の頭脳を一番継承したのが隆景公ではないでしょうか。理想のリーダーなのですが、実際の私は次男の元春タイプ。どうも「武力」一本で、前職では多々ご迷惑をおかけしました・・・笑。

『目先の欲など、捨ててしまえ』

欲は懸命に働き、学び取るための原動力、いわば人を成長させるためのエンジン。一方で欲をかき過ぎるのは危険。自分本位になれば、当然他人からしっぺ返しを喰らうことになる。欲だけでうまくいくほど、会社というものは甘くない。しかし、その欲が自分本位を超えて、会社の利益や社会の貢献につながるとしたら、話しは違ってくる。「部下を育てたい」、「これを成し遂げて社会に貢献したい」という気持ちが軸にあれば、その欲はただの欲ではなく、多くの人に共感される志になるはず。欲が磨かれれば、必ず志になる。そしてその志が、あなたを突き動かし、成長させる情熱となる。

同上

多くの人が心の中を読まれている心地に・・・?

これは・・・日本の政治家に聞かせたい言葉ですね、連日の報道に怒りを通り越して呆れるばかりです。でも、政治のみならず、おそらくどこの会社、組織でも同様のことは行われているのではないでしょうか?私も結構いい歳なので清廉潔白であれ、と青臭いことは言うつもりはありませんが、佐々木さんが仰るように、「欲」はあっても良いけど、自分本位(=自分中心)ではなく、もっと大きな「志」を持ちなさい、というのはまさにその通り。

私も結局、「欲」に勝てなかったと気づいた

当時の私は・・・どうなんだろう?自分の出世欲みたいなものは、そんなに無かったように思います。それより何より、自分の所属部署(つまりは自分の任されている教室)を一番良くしたい、という気持ちだったと思います。こう聞くと、なんだか青臭いですが、今思えばこれは「部分最適」を求めていたのであり、「全体最適」は後回しにしていたのだと気づきます。これでは会社全体は良くなりませんよね?(ま、当時、会社愛があったか、というと微妙なのですが・・・)ですから、私も「欲」に関しては反省しなければ・・・です。

『「組織は家族」と考えてみる』

会社の仲間とは朝から夕方まで、ほぼ毎日、同じ時間や空間を共にする仲間。組織をチーム、家族だと思って接してみる。悩みがあれば仕事以外のことでも親身になって聞く。困ったことがあれば、できる範囲で手を差し伸べる。そうすることで互いの信頼感が高まれば、チームの結束は強まる。個々のモチベーションもスキルもアップする。盤石の組織を作るには、クールな関係より、むしろ家族のような強い思いやりで結ばれた関係が求められるといっても過言ではない。

心理学者のアドラーも、人が生きていくのに必要なのは「共同体感覚」、すなわち「他者を仲間と見なし、そこに『自分の居場所がある』と感じられること」であると説いている。アドラーのこの言葉が示すように、会社での人間関係を「競争」「争い」などで捉えてしまうと、敵対心が芽生え、悩みが生まれ、不幸から逃れられなくなる。だから人間関係で悩みたくないのなら、自らの内にある敵対心や争いの心は略してしまったほうがいい。まさに文字通り「戦いを略す」ことが戦略なのである。会社の人たちを「仲間である」という共同体感覚でとらえ、自ら友好的に積極的に関わろうとする意志を持てば、会社は「かけがえのない場所」になるだろう。

同上

「嫌われる勇気」の前に佐々木さんは説いていた!

長い引用になりましたが、これは本当にその通り!アドラーの心理学が注目を浴び、「嫌われる勇気」などのベストセラーが出版されるのは、この後だと思いますが、私は佐々木さんの著書でこのアドラーによる「共同体感覚」という言葉を知り、「我が意を得たり」と膝を打ったことを覚えています。まさに職場のメンバーは「家族」。そんなつもりで接していました。ま、今思えばだいぶ「鬱陶しい」キャラだったかもしれませんが、当時はまったく意に介さず「これはいいことだ」と心の底から信じて行動していたので、周りは呆れつつも付き合ってくれたのかなーと思っています(笑)。

稲森さんも本田宗一郎さんも感覚的に分かっていた?

京セラの稲森会長も「コンパ」と称した飲み会で、膝を交えて会社のことを「ああでもない、こうでもない」と喧々諤々議論する、また、HONDAの「ワイガヤ」文化なども、こうした「共同体感覚」というものに稲森さんも本田宗一郎さんも感覚的に捉えていたのではないでしょうか。こうした経営の神様と自分ごときを並べること自体、おこがましい意外の何物でも無いのですが、こうした著作をむさぼるように読んでいた私は、できることから何でも取り入れていましたね、当時。なんだかんだとスタッフの集まる会を開き、最盛期はお客さんよりもスタッフファーストだったような感じでしたね(結果、そのほうが組織がうまく回るんですよね)。

アフターコロナの今、「共同体感覚」はどう醸成するのか?

ただ、コロナ期を経て、こうした「集まり」も縮小していった感があるように思います。さらには「マインド」の変化も大きく、現在ではこうした「熱い(暑苦しい?)付き合い」は若干、時代遅れというか、流行らないというか、好まれないのかななんて思っています。私自身、現在リーダーシップを執る身ではないので、ちょっと気楽に考えているのですが、もしリーダーとしてチームを率いるとしたら、このアフターコロナ期はどうやって「共同体感覚」「家族のようなチーム感」を醸成するのだろうか・・・?ということは私にはまだ答えが出ていません。

チーム作りに「共同体感覚」は必須!

ただ、「強いチーム」を作るなら、この考えはとても大事だと思います。そして何よりリーダーである人物がこの気持ちを心の底から信じて(信じ切って)スタッフたちに接し、それを日々伝え、さらには彼らから信頼されなけば・・・という非常に長い長い道のりなのかな、とも思います。実際、体験した感覚ですが。ただ「好循環」に入れば、仕事が面白いように回り始め、明るい「気」が充満し、それこそ会社(=職場)が「かけがえのない場所」となると思います(実際そうでした)。ま、こうして興奮状態で働き続け、気づくと心の燃料が尽きていた・・・というのが私の実話なのですが、ま、これはまた別の話、ということで(笑)。

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