人文科学の限界(前編):奨学金で話したかったこと、感じたこと
どうもこんにちは、Shinです。
昨日某奨学金の合否が出まして、残念ながら落ちてしまいました。まさかの書類落ちで本当にこれからどうしていこうかと途方に暮れております。
今日は本来奨学金の二次試験で面接があった時に主張したかったこと。落ちたことで感じたことを書きたいと思います。
では早速主張の結論からいきましょう。
それは・・・。
考古学や歴史学の研究は社会の諸問題の解決に寄与し、古代エジプト研究はその先駆となることができる
というものです。
そして今回の奨学金に落選したことで
そうした論は世間や財団は求めていないのではないか
そう思ってしまいました。
気になりましたか?でしたらぜひ読んでいってください。それでは私の思いの丈、はじまり、はじまり〜。
注:これはあくまで私の一考えであることはあしからず。温かい目で見てくれるとありがたいです。また、できるのならあなたの意見を聞かせてくれると嬉しいです。
社会貢献を考えるようになったきっかけ
私がエジプト考古学を研究したい理由は単純な興味、知的好奇心から始まっています。
日本の遥か南西方向、そして紀元前約4000年という途方もない時間の彼方で華開いた文明は私を本当にワクワクさせました。
おそらくどんな国と地域であっても、考古学や歴史学を学んでいる方は未知のものを知りたいという欲求に支えられているのではないかと思います。
しかし、そうも言ってられない出来事に出くわしました。
それは何か・・・・。
奨学金です。
UCLに行くにはとてつもない授業料と生活費がかかります。(授業料年間約650万、生活費200万)
我が家はそれを賄える経済的余裕はありませんので、奨学金に頼るしかありません。
そうした経緯で色々な奨学金を調べました。するとあることが分かったのです。
大型奨学金では応募条件で人文科学は除外されているところがある。
私は必死で調べました。人文科学が専攻であっても受けられる奨学金を。そして一つ見つけたのです!!
しかし、さらなる困難が襲いました。その奨学金が求める人材にこう書かれていたのです。
現代社会が抱える問題を解決する意識を持ち、社会に貢献することを目指す人材を期待する。(一部改変)
この時に私は思考が止まりました。それに対して何も意見を出すことができなかったからです。
今まで好きという情熱を持ってここまで走ってきて、特例でUCLに受かりました。これからエジプト研究の発展に貢献するそう意気込んでいました。
しかし、蓋を開ければ私にはその情熱と書籍で見て覚えた知識しかなかったのです。
「知的好奇心を満たすために学ぶ、多いに結構ではないか。」
「それこそが学問の本質だろう?」
そのようなお声もあるかと思います。
しかし、奨学金の条件をきっかけに私自身学問として成立して人々に提供されているということは、何かしら社会にとって意義があると考えさせられました。
そしてその意義が優先して順位づけされるべきだと今は考えています。
そんなわけで、私の長い思索の旅が始まったわけです。
意見は言った方が良い
「歴史て何の役に立つの?数学とか理科と違って日常で使わないじゃん。」
あなたも一度は学校で耳にしたことがあると思います。かくいう私もたくさん聞いてきました。
社会的意義を模索する身としてはこれはもはやテスト勉強をやりたくない文句として、テストの点数が悪い時の言い訳として聞くことはできなくなりました。「素人質問で恐縮ですが」のような冷や汗ものの指摘です。
"
私はこれに対する回答を生み出すのにそれはたくさんの書籍を読ませていただきました。そして一つの社会的有用性に答えを出せる考えを見つけました。
参考にしたのは遅塚忠躬氏の著書『史学概論』です。反省的歴史学の考えが私の中では大変納得のいくものでした。(その本博士課程の方がおしえてくれました。本当に感謝です。)
どいうものかと言いますと、
過去の人々の営為と現代の社会や文化を比較して、その異質さを浮き彫りにして反省をする
というような考えを指します。
もっとわかりやすくいうなら文化人類学の行いの過去バージョンということです。
では文化人類学とは何か、ここでは学問的な意義については話さず私の経験から説明したいと思います。
これは、きっと海外で長期間住まわれてた人なら理解しやすいと思います。
私は、オーストラリアに1年間住んでおりました。その時に学校や職場で何か情報などを教えてもらったり、話をしていたりしたときに決まって必ず「あなたはどう思う?」と聞かれました。私はそれに対してオーストラリアに来たばかりの頃は、「え?そうなんだで終わりじゃね?」と思っていました。しかし私が何も返せないと、「意見言わなきゃダメだよ!」と言われたり、怪訝な顔されたり、少し馬鹿にするような顔をされました。
最初は彼らが何に対してそのような反応をするのか本当に理解できませんでした。
しかし、ある程度の期間を過ごして徐々に気付きました。意見を言うのは一種の生存戦略です。彼らは日本人と違い、結構テキトーだったり、日本の常識を大きく超えたことをすることがあります(頼んだ料理と違うとか、宅配の仕方とかあげればキリがありません)。それで不利益を被った時に自ら主張しなければ、向こうは何もアクションを起こしてくれません。人の顔色から気にして声をかけてくれる優しい友達みたいな人は存在しないのです。そして、その主張が論理的に正しければ、概ねそれを汲み取ってくれる可能性が高いです。そうすることで何が起きるかわかりますか?
自信を持つことができるのです。自分の考えを発信することに躊躇いがなくなり、嫌なことは嫌と言うことが苦ではなくなります。
では何故それが最初わからなかったのでしょう?その時に初めて気がつきました。日本でも私は自分の意見を家族、学校の先生、そしてその他様々な人に自分の主張を伝えてました。しかしそれらが時間が経つにれ彼らに主張が通ることも真剣に取り合ってくれることもないのだと学び、意見を言うことを躊躇ってしまったのです。 私はこの点に気がつき、反省することのきっかけを得ました。これからはそこを修正すればいいし、自分が他者の主張に対して無視しないよう対応すれば良いのです。
オーストラリアという日本とは違う国に行き、その文化に長期的に触れたことで私は日本とは違う文化を認識し、その違いを持って日本の文化を再認識しそれを反省することが可能になったのです。このプロセスを時間と空間で隔たった過去の人々の営みに対して応用することが多様な社会を許容する土壌を養成し、研究することへの意義が生まれると考えます。
この考えの反省点( Critique of the viewpoint)
この考えの脆弱性はどこにあるのかについても検討し、評価していこうと思います。一つ挙げるとするならば、文化人類学と違って考古学や歴史学の対象はもはや生きているいる人が存在しないはるか昔がターゲットとなる点です。
ピラミッドは当時の人々がどんな思いで建築に参加したのかは教えてくれませんし、土器の用途が実際にどのように使用されていたかなど本当のところ直接使っている本人に聞く以外に分かり得ません。
私たちがある遺物に対し同定するものが過去の人々がそのような機能を持つと規定していたかは誰にもわからんのです。極論誰でも好き勝手に解釈ができてしまう危険性があります。たとえ暴論のように聞こえたとしても実際のところそれが誤りであると100%断罪することはできないと考えます。
故に私たちが乗り越えなければならないのは、この読み手中心主義のような状況に対し、それに好き勝手にさせない方法論を使わなくてはならないのです。
実際に理論考古学がそれに対応する役割を期待されていますが、多くの批判が存在します。私は何とかしてこの問題を解決できる理論を生み出したいと考えてますし、日本人としての視点、UCLで学ぶ学問的視点、そしてそこで出会う様々なバックグラウンドを持つUCL生の視点がその目標を達成することを可能すると確信しています。(行けなければ、それも叶わないわけですが)
まだまだ話したいことがあるのですが、区切りが良いので本日はここまでにいたします。また後半は書き上がり次第の投稿となります。読んでいただきありがとうございます。
<参考文献>
Mathew Johnson. (2020), Archaeological Theory: An Introduction, Wiley Blackwell
遅塚 忠躬2010『史学概論』pp.27-53, 東京大学出版会