「いのち」との距離
効率化が叫ばれる社会。
近くにUber Eatsの配達員がいれば食べ物がすぐに届く。
テレビに映る有名人にだってSNSでメッセージができてしまう。
距離が見えなくなった時代。
見えないモノを感じる事、想像をするチカラ。
相手の生きる世界への敬意。
「(いのち)をいただきます」という祈り。
ある神話に黄泉竈食ひ(よもつへぐい)という言葉がある。
「異世界の釜戸の火で作られた料理を食べると、もとの世界には戻れなくなる」という意味。
日本最古の歴史書「古事記」「日本書紀」に残された古代神話の中にも出てくる言葉で、
映画「千と千尋の神隠し」のモチーフといわれている。
トンネル(周りが見えなくなる期間)を抜けると、異世界が広がっている。
異世界の食べ物を勝手に食した千尋の両親は豚になる。
「いのち」をいただく事への敬意も想いも無い。自分の腹が満たせれば良いという考えは、諸悪の根源に思える。
現実から離れれば心は動かない。
その分、傷付かず無表情に過ごせる。
私が子供の頃は、家で家族の最期を看取った。
近所で人が亡くなれば手を合わせに行った。
人の「死」に立ち会う事で
「生」を学んだ。
言葉にできない感情に襲われた事を覚えている。
火葬場で遺骨を見つめ「生」の尊さに触れた。
今では病院か老人ホームでしか人は死なない。
死をまるで“見たくないもの“のように遠ざける。
死を遠ざける事は、生を遠ざけること。
会社でこんな事があった。
ある男性社員から「素敵な女性社員がいる」と言われ、私は「どこが素敵なのだ?」と聞くと…
「お弁当を食べる時、手を合わせて“いただきます“って言って食べているんです」と…
多少の恐怖を感じたが、着眼点にはセンスを感じた。
豚や牛を捌いて「いのち」を頬張る。
そこに祈りや感謝の無い人は豚だ。
千尋はいのちをいただく時「いただきます」と手を合わせる子だった。だからこそ、目に見えないものを最期まで捨てずに「人」である事を忘れずに過ごせたのだろう。
いのちの名前を忘れた時、いのちへの敬意を忘れた時、私たちは「人」でいられなくなる。
大人になると見えなくなるものがある。本当に大切なものは子供の頃に見えていたものだ。
自分の名前を大切にするように、目に映る全てのいのちを大切にできたら、
トンネルの先には異世界が広がっている気がするのだ。
(それでは聴いてください)
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