まだ普通に絶望している
記事を書くのは何ヶ月ぶりなんだろう?
でも死んだ後も痕跡として残るという意味では大した事ではないんだろうな。
昨年の自分の記事を読んでみて、今の自分と大差ないと思った。
あの時よりは絶望感は減ったかもしれない、増したかもしれない。
でも絶望感があるという事実は以前と変わらない。
私はまだ普通に絶望している。
今日コンビニで明日の朝ごはんを買いに行った時、
小さい子供のギャーと泣く声が店内に響き渡っていた。
よくよく内容を聞くと、飲みたいジュースがあったようで今すぐ封を開けて飲みたかったらしい。その子のお母さんが「それは家にあるでしょ。家に帰ってから飲みなさい」と何度も言っても聞かず泣き喚いていた。
その時私は「うるさーーーい!!!!」と叫びたくてたまらなかった。
お母さんが家にあるって言ってるでしょ、何で泣く!?と、イライラが止まらなかった。でもそんな事は当たり前だけどしなかった。
そそくさと自分の買い物を済ませ、その場を離れた。
話は変わるが私には3つの「限界」がある。
この「限界」を超えた時、初めて自分の体調が良くないと気づくのだ。
一つ目は上記の内容で分かる通り『子供の声(泣き声や甲高い声)』
ストレスが無い時は、遠くから「やれやれ」と思えるが、自分の身体や心が限界にきているとイライラしてたまらなくなる。
二つ目は『耳鳴り』
頻繁に起こるようになり、そして周囲の音に過敏に反応し始めてしまう状態になったらアウト。限界を超えたという事になる。
最後三つ目は『幻覚』
目の端に黒い何かが見えるようになったら終わり。
もう全てを放り出し休むしかない。
母が癌で精神的に不安定だった頃、私に八つ当たりのような事をしたり、
父が車の運転が出来ないので緊急で母を病院に連れて行くなど、様々なことがあった時、その三つが全部揃った。
そうなったら後は本当に最悪だ。
私は隣の家が夜窓が光っているというだけで「盗撮されている」と思い込んで警戒し、夜中寝ようと布団に潜っても飛行機が真上を飛んでいるんじゃないかと思うような「ゴゴゴゴゴ」という幻聴に悩まされ、車の運転中には動悸が激しくなり、自分の腕や手を噛んだり叩いておかないと自我を保つことが出来なかった。
よく生きてこられたと思う。
でもあの時にちゃんとした診断をくれる病院、医者に出会っていれば
今の私のような酷い状態は無かったのではないのかとも思う(ただその当時はそんな余裕もお金も無かったけど)
そんな訳で今回は一つ目の限界を感じた訳で、更に言えば今日noteに残した記事を読み返して絶望感をまだ持っている事に気づいたのだった。
解決策はあるのか分からない。
ただ、ちょっとだけそこに手を差し伸べてくれる人がいる事にも最近気づけた。
姉である。姉には少しだけ弱音が吐ける。以前の自分はまだそこに気づく余裕さえなかった。
父は駄目だ。父は昔から母と自分自身で手一杯の人だからだ。
絶望を感じ、「もう死んでも良いか?」と自分に問いかけた時、姉の顔が浮かぶ。
よくしてくれた人だからかもしれない。今も大事に思ってくれるからかもしれない。姉の顔を思い出して、姉の為にまだ生きておこうと思える。
絶望感は普通にまだ抱いているけれど
限界値のものも抱えているけれど
まだ死なずにいられるのは、そういった私を大切にしてくれる人達のお陰かもしれない。