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生命が交差する場所(医療従事者のあなたへ)

私が生まれた時、私は何を感じていたのでしょうか。

明るさを感じることや、音を感じること。
私に触れる誰かの感触。

その全てが”分からないもの”でした。

それから二十年が経った現在、知識や経験を得ることは、時に”分からないもの”を増やすということを知ります。

そして今、私が改めて考えていることは、人の命についてです。

年齢を重ねるごとに、人の死というものが身近になります。

お葬式に行くことが増えました。
独特な空気から恐怖感に苛まれることもありますが、人の死というものに真摯に向き合わねばなりません。

当たり前のことですが、私たちはたった一秒後の世界すらも予測することはできません。
ふとした時にそのことに気づき、ようやく対策を立てるのです。

ここは病院。
生命が交差する場所。

全ての人に共通することはひとつ。
生きるということへの執着心。

いかにも人間らしいこの場所は、意外と異常な空間なのです。

祖父母の緊急搬送や付き添いにて、病院に行く機会も増えました。

これまでの病院に対するイメージは、「楽しい」というような感じでした。
というのも、お見舞いに行くことがよくあったのですが、ベッドに横たわる祖母はいつも、他の方にいただいたフルーツを私に食べさせてくれたのです。
時にはデザートを食べたり、帰りにご馳走をしていただいたり…

いつしか病室の匂いは、心休まるものとなっていました。

しかし、それは祖母の慢性的な病気であったからで、私の心に一切の焦りがなかったからなのでしょう。

ここ1,2年の病院には、これまでとは全く異なる、鬼気迫る表情を感じます。

響回るサイレンや機械音、車輪が地面と擦れる音。
人々の不安と焦燥のイメージ。
吐血、断面図、白衣、心電図、赤、緑。

入れ替わり立ち替わり流れていく情報は安心など与えず、そこに現実を当て込むことすら困難なほどに余裕は消え去ります。

一心に願うは、少しでも長くその人との時間を増やすこと。

私には長く生きたいと思う気持ちはありません。
それ故に、この気持ちが続くことが私の生きる意味であり、そう思われることが私の意味であるのです。

生きていく意味を考える私と、生かせることだけを考える病院は、相反するもののようで、生命というものに対して向かう気持ちには共鳴するものがあるのではないかと考えます。

生命が交差する場所。

全ての人が誰かを想っているこの場所は、私たちが慣れ親しんだ特異な空間です。


医療従事者のあなたへ

多くの人が持てない心をあなたは持っています。
ここで私が何を言おうと、あなたの努力を形容することはできないでしょう。

私がもしあなたと同じ仕事をしていたら、相手によって対応を変えてしまいます。
全ての人を公平に見ることなど私にはできませんし、むしろ害を与えてやろうとすら思ってしまうかもしれません。

あなたの広大な心を尊敬します。

厚かましいのですが、私の大切な方に何かがあったときはよろしくお願いいたします。

あなた自身の心や身体を壊さないよう、ご自愛ください。

いつもありがとう。

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