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今日から友だち
僕が小学生に入ったばかりのころ、なかなか友だちができず、「どうやったら友だちができるの?」と母に相談したことがある。
そうしたら、間髪入れず、「そりゃあ"友だちになって"って言うんよ。」と言われた。
今考えても、なんてストレートなアドバイスだろうと思う。
僕だったら「同じ趣味の子を見つけて」とか、「部活に入って」とか、思わず回りくどいやり方を教えてしまいそうだ。
大人は「友だちになって」なんて言わない。
では、友だちは一体どこから友だちなのだろうか。
小学生の頃の僕にとっては、友だちの定義はシンプルだった。
「”友だちになって”と言って、”いいよ!”と言ってくれた人が友だち」
まるで、友だちラベルがおでこに張られているかのように、クラスメイトを「友だち」と「友だちじゃない人」に分けることができた。
それが成長するにつれて、「友だちになって」なんて、体がこそばゆくなるような告白じみた言葉は言わなくなった。
そして、今や知り合いと友だちの境界はぼやけきっている。
“友だちになった”と思う瞬間は人それぞれなのだろう。
「一緒に昼ご飯を食べたとき」
「見たことがある映画の話題で盛り上がったとき」
「こいつとは気が合いそうだなと思ったとき」
もしかすると、「友だちになった!」と思っていたら、相手は全くそんな気はなかったなんてこともあるかもしれない。
しかし、覚えておいてほしい。
逆もまた然りなのだ。
「友だちが少ない」と嘆いている人のことを、大切な友だとと思っている人は案外たくさんいるのだ。
あの日、「友だちになって」と声をかけた友人は、もう十数年近く会っていない。
久々に「友だちになって」と声を掛けたら、どんなリアクションをするだろうか。
もし、僕が彼から「友だちになって」なんて言われたら、冗談めかした口調でこう返すだろう。
「え!?俺たち友だちじゃなかったの!?」
きっと彼の返答も同じだろう。
何年もあっていないはずの彼が、おどけた顔でそう言っている姿が、なぜだか昨日会ったかのように想像できた。