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【おすすめの本】『何もしない』(ジェニー・オデル著、竹内要江 訳、早川書房、2021)

おすすめの本の紹介(読書感想文)です。

『何もしない』
(ジェニー・オデル著、竹内要江 訳、早川書房、2021)


感想を一言でまとめれば、

読みなさい、みんな。

です。

情報化と資本主義が高度に結び付いた世界に生きているわたしたちーーなかんずくSNSと「最適化」に疲れているわたしたちが、真っ先に読むべき本の一つだと思います。

以下、いくつかの視点から感想を書きます。

●人間にとって自然はなぜ大切か

「大切なものであることは分かっているけれど、なぜ大切なのかを説明するのが難しいもの」ーーその最たるものが「自然」だと思います。
「自然」の中で「何もしない」でいることで、ーー現代のテクノロジーに助けられて強力になった資本主義が、より効率的に搾取するため、わたしたちから「自然的なもの」「本来的なもの」「動物的なもの」を排除し、わたしたちの意識を乗っ取り調教(!)していくアルゴリズム(フレームワーク)に抵抗することでもあるのですがーーわたしたちはどんな恵み、恩寵を受けるのか?
著者は、自らの「維持」「ケア」「自立共生」を促し、守ることだと考えます。これは幸せそのものではなくても、幸せであるために欠かせない条件でしょう。

個人的に、芸術は自然の代替になりうると思いますーー芸術作品を通して、わたしたち鑑賞者は芸術家と向き合い、ブーバーの言う「われー汝」の関係性の中で「対話」をし、敬意と共感、感謝に満ちたつながりに守られながら、「主体的かつ自由に感じる」自立した精神が育まれていく……
「芸術は自然の模倣である」という言葉の意味を、もう一度玩味する必要がありそうです。

『何もしない』はこの点についてダイレクトには書いていませんが、いくつかのパフォーマンス・アートの例を紹介することでわたしたち読者に示唆を与えているとは思います。

蛇足ですが、古代ギリシャの哲学者ディオゲネスの数々の奇行には現代のパフォーマンス・アートに通じるところがあるという考察には感心しました。著者自身が現代美術のアーティストだから気づけたのかもしれません。


●幸せなとは肯定・受容的関係に無条件に包まれること

ところで、「幸せ」とは何でしょう? 
「わたしは幸せである」、その状態を定義することはできるでしょうか?

著者は、「何もしない」状態で、自分自身が肯定的・受容的関係に無条件に包まれている状態と考えているようです。

「君がここにいたって、君もここにいたって、いいじゃないか。君が何かしていても、何もしていなくても」
「独創性や個性を求めなくても、君という存在自身がユニークで、しかも孤立していないーーしっかりとした関係性で時代や環境と結ばれている」

という心地よさは、現代ではなかなか感じられないかもしれません。

著者は自ら「何もしない」ーー心をオープンな状態にして自然の中にただ佇むことで幸せを実感できるのではないかと提案します。
逆もまた然りというのか、そういう状態に身をおくことで心が自然とオープンになっていくということもあるわけで、実際にそういう経験をしたことがあるひとは、わたしを含め決して少なくないはずです。

荘子の「逍遙遊」(しょうようゆう)、あるいはマインドフルネスを連想しましたーーただ、マインドフルネスが自分の内部に注意を向けるのに対し、ここでの「何もしない」は自分自身と自然の境界が曖昧に感じられるようになったときにしか現れない「大きくダイナミックな、それでいて穏やかな『流れ』」に注意を向けるところが違います。しかし、わたしたちは今、自分自身(何よりも自己肯定感や自尊心、自己への寛容)を取り戻す各種の技法の違いよりも、それらに共通しているところに目を向けた方がよさそうです。


●「まなざし」と疎外

一方、経済は「何もしない」ことを嫌います。極論すれば、「何もしない」状態は経済の死です。財やサービスの交換が発生しないのですから。当然、搾取(利益獲得)の機会も生まれません。
 経済は自らを生かすため、あらゆる資源を動かそうとします。より早く、より大量に。できる限り世界を「代謝」させます。
「見る=奪う」「見られる=奪われる」の「まなざし」の関係を利用して「代謝」させ、エネルギーを取り出して(搾取して)いきます。この関係構築の材料となる個人情報は、無料サービスや特典ポイント付与サービス、サブスクリプション(定期講読。会員制サービスなども含む)などの利用と引き換えに、「奪う階級」に余すところなく吸い取られます。

こうしてわたしたちは、知らないうちに「奪われる階級」に放り込まれ、「奪う階級」に逆転することがないよう巧妙かつ周到に去勢されます。価値判断の能力と機会(時間)を奪われ、気がつけば、自力で手足を動かせず、まばたき一つできず、人形遣いのお望みのままに動くしかないマリオネットになっている……

情報テクノロジーはこのプロセスをとてつもなく強力かつ自動的に発動させることに貢献しました。人間の処理能力をはるかに超えるスペックで、わたしと環境を取り結んでいる時間と空間の関係性を切断し(「今ここでは大流行です」……「今」とは?「ここ」とは?)、「最適化」「個別化」で人間関係を切断し(「他人は他人。自分らしく」)、個性や信条も撹乱させ続けています(「成長するには自分を変えないといけない」)。

酒が人を飲むように、経済が人を疎外して利用する。行き着く先は、人間としての死ーー執拗かつ徹底的に経済単位まで還元された「『スペックを記した札(タグ)』化」です。たとえば、「年収●00万の結婚希望者」「カードの年間利用料金●万の顧客」などのような。


●訳語や処理の迷いから見える訳者の誠実と原著への敬意

訳者が、原著と原語(英語)に敬意をもって誠実に翻訳していることが分かる意味でも、大変いい本です。

訳語に原語のルビを振ってあるのが散見されます。

活動家 アクティビスト p25
自立共生 コンヴィヴィアリティ p63
身体 集合 ボディ p63
偏り バイアス p181
生命地域主義 バイオリージョナリズム p196
歴史 物語 ストーリー p283
道徳的行為主体 モラルエージェント p301

これは日本語と英語のニュアンスのずれを埋めるためであって、訳者が最適な訳語を思いつかなかった、訳語を決める勇気がなかったということではありません。

それどころか、訳者が言語間のニュアンスのずれを補正できる卓越した語学力を持っていることは、

「コンヴィヴィアリティ conviviality」を「自立共生」(p63)
(研究社英和中辞典第6版では「宴会、陽気さ、上機嫌」)、

「ストレンジャー stranger」を「かかわりのない存在」 (p224)
(研究社英和中辞典第6版では「 1(見)知らぬ人,他人;客  2〔場所などに〕不慣れな人,初めての人,未経験者〔in,to〕」)

と訳しているところからも明らかです。

訳の処理の工夫の別の例として

「出現の空間」(p272)

を挙げたいと思います。
おそらく原語は the space of appearance でしょうが、「出現」と訳語をあてるときのいい意味での迷いのようなものに好感を持ちましたーー「出現」と言ってしまうとニュアンスを取りこぼしてしまう、だからといって「アピアランス」という市民権を得ていない(!)カタカナ英語のルビを振るまでではないだろう、というような。

訳の工夫の例をもう一つ紹介。

「覚えておく」(remember)
「re-membering」「再び」ー「一員になる」
「dismembering」「バラバラになる」p302

この「」(括弧記号)と英語を混ぜた表記に、訳者の読者への気遣いを感じました。


最後に、本書の気に入った箇所をいくつか引用します。


ーーー

私たちは自分自身にたいして、たがいにたいして、そして、私たちに人間味を与えてくれる、現在でも残されている要素(私たちを支え、ときに驚かせる「連帯」もそこに含まれる)を保全する態度を取るべきではないかということだ。利用してやろうという思惑とは無関係の非商業的な活動や思考のために、維持メンテナンスのために、ケアのために、自立共生コンヴィヴィアリティのために、私たちの空間、、と時間、、を死守するべきだ。さらに、私たちの身体ボディ、別の存在の身体ボディ、私たちが身を置く景観の集合ボディをあからさまに無視して、軽んじるあらゆるテクノロジーから、人間の動物性をなんとしてでも守らなければならない。
(第一章「何もない」ということ p63)

ーーー

本当にいい音楽は、「こっそりしのびよって」人を変えてしまう。そして、理解を超えた方法で相手を変化させる遭遇の余地を残しておけるのなら、私たちはひとりひとりが理解を超えた力の集合体なのだという事実を受け入れられるだろう。そういうわけで、好きだとは思っていなかった曲を聴いていると、ときどき私の知らない何かが、私の知らない何かに、私を通して話しかけている気になる。安定した、境界線で区切られたエゴになじんでいる人にとって、そんなことを認めるのは自らの死を願うようなものだろう。個人的には、細分化さてた自己という考えを手放している私にとっては、それこそが生きている確かな証あかしにほかならない。
(第五章ストレンジャーの生態学 pp215-216)

ーーー

(中略)今日ペリカンに遭遇すると私は思っていなかったが、これは「明白な解体」が、それを進んで受け取る者にたいして提供すべきものを表す最良の例なのかもしれない。私たちがコンクリートの亀裂をこじあけて遭遇するのは生命そのものなのだーーそれ以上のものがあるように思われても、ただそれだけのことだ。
  前のめりのなることもなく、後ずさることもなく、大地に垂直に立って、私はどうしたらこのペリカンたちが織りなす信じがたいほどのスペクタクルに感謝の気持ちを伝えられるだろうかと考えた。答えは「何もしない」だ。ただ眺めていればいいのだ。
(おわりに pp306-307)

★はじめにp7の引用句 (参考)
救出は、連続する破局のなかにある小さな亀裂を手がかりにする。ウォルター・ベンヤミン

ーーー

『何もしない』、一読をおすすめします!

 わたしももっと周りに注意して過ごしてみます。五感をしっかり使って世界をより深く感じることによってーー「何もしない」ことによって。

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