【社会に居場所がなくたって】映画『システム・クラッシャー』感想
ドイツを舞台に、社会に居場所がない少女の行く末を描いた映画『システム・クラッシャー』。
2019年に公開され、ベルリン国際映画祭の銀熊賞を始め30を超える受賞と20を超えるノミネートに輝くなど世界各地で話題となった作品だ。
日本では4月27日よりイメージフォーラムにて上映中となっている(全国順次公開予定)。
タイトルになっている『システム・クラッシャー』とは、あまりに乱暴で行く先々で問題を起こし、施設を転々とする制御不能で攻撃的な子供のことを指す(公式HPより)。
9歳のベニーはどこにでもいる女の子。ただ1度怒りのスイッチが入ると誰にも手に負えない問題児でもある。
さまざまな保護施設をたらい回しにされているが、行く先々で事件を起こすので受け入れ先もどんどん少なくなっている。
このままだと行きつく先は精神病院か閉鎖病棟か。
ベニーの周囲の大人たちは何とか彼女を社会に適応させようとする。そんな中、通学付き添い人のミヒャは3週間森の中の小屋でベニーと1対1の隔離療法を提案するのだが…というあらすじ。
繰り返される希望と絶望。
ようやくベニーの落ち着く先が見えたと思った次にはその希望は打ち砕かれる。
この展開がひたすら繰り返されるので、観ていてなかなかしんどいものがあった。だが、こうした演出はベニーの置かれている状況が本当にどうしようもないことも理解させる。
劇中、ベニーの母親や施設の人間をひどいと思ってしまう場面もあるが、それは自分がスクリーン越しから眺めてるだけの部外者だからなのだろう。
当事者たちからすればその苦労は計り知れないものがある。
他の作品であれば「救済者」になりそうなミヒャのあきらめがとてもリアル。恐らくベニーを本気で救いたいと思うなら自分の人生を懸けて彼女に付き合わなければならない、だが現実的に考えてそんなことはできない。
切ないと思ったのは、大人たちのひそひそ会話をベニーも聞いている場面。ベニー自身、自分があまり歓迎されていないということを分かってるんだろうな。
山に向かってベニーが「ママ、ママ、ママ」と連呼する場面。ベニーの母親に対する思いも切ないしその時のミヒャの表情にも泣かされる。全編ドキュメンタリーチックなんだけど、この映画はこういうドラマチックな演出も上手い。
突き付けられる福祉の限界。
ベニーのように社会のシステムにも馴染めず居場所がない子はどこに行けば良い?
その解決策は提示されることはない。
凄く良かったのは、社会に適合できないベニーを「仕方ない」とあきらめたり、切り捨てたりしてないところ。
「社会に居場所がない?だからどうした?私は生きている!」と言わんばかりに終わるラストとエンドロール。
特にエンディングのニーナ・シモンの『Ain't Got No』はそのまま本作のメッセージと捉えていいだろう。
「私にはお金も家も靴も友達もない、だけど私には髪も耳も鼻も笑顔もある」
社会には居場所がなくたって図太く生きていけばいい。そんな力強いエールのようなものを感じた。
ちなみにXで本編に出演されてる原サチコさんの投稿を読むと、本作は内容がハードなだけに資金繰りと配給探しにも相当の苦労を要したんだそう。
そんな作品が海を越えて今、日本で観れているというところも人の思いが意思が伝わってるという気がして好きだな。