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【本当の自分探し」という夢と現実に挟まれて】『わたしは最悪。』感想

7月1日から公開されている映画『わたしは最悪。』。30歳という節目を迎えたユリヤが仕事や恋愛を通じて、自分探しに奔走する姿を描いた作品だ。監督は『母の残像』(2016)、『テルマ』(2018)のデンマーク出身のヨアキム・トリアー。本作は第74回カンヌ国際映画祭コのンペティション部門で女優賞を受賞、第94回アカデミー賞では国際長編映画賞と脚本賞の2部門にノミネートされるという快挙を遂げている。

本作は鑑賞前からムビチケを購入するほど楽しみにしていた。というのも、作品自体の評判が良いのと、本作を鑑賞した人達で「今年ベストの作品」と絶賛している感想をいくつか見たからだ。という訳で、7月16日にミッドランドシネマ名古屋空港で鑑賞してきた。この記事では感想を述べていきたい。

公開から2週間くらい経っていたこともあってか、お客さんは10人程度の入り。
わたしは最悪ポスター画像
2021年製作/128分/R15+/ノルウェー・フランス・スウェーデン・デンマーク合作

あらすじ:30歳の節目を迎えたユリヤはこれまでも職業を転々としてきたが、いまだに自分のやりたいことが定まっていない。年上の恋人アクセルとの関係は良好だが、2人の将来についてはズレがある。また、成功しているアクセルに対しユリヤは歯がゆい思いも抱いていた。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、そこで若く穏やかな青年アイヴィンと出会う。お互い恋人がいる身ということで、その場は別れた2人だが運命的な再会をしたことにより2人は強く惹かれあい…

【感想】

正直、最初鑑賞した時はユリヤに感情移入できなかった。仕事や恋人を次々変えるユリヤの姿は落ち着きがないように感じられ軽く感じられたのだ。ユリヤよりむしろアクセルに感情移入して観ていたこともあってか、2人の別れの場面はショックだったしユリヤに怒りすら覚えた。

確かに2人の理想とするところにズレはあった。だが、2人の関係は良好だったしアクセルが何かした訳じゃない。ユリヤの行動に「何故?」とも思った。リヤがアクセルと別れてアイヴィンの元へ行く姿に『テイク・ディス・ワルツ』(2012)の主人公のマーゴを重ねて観ていた。

『テイク・ディス・ワルツ』は、結婚5年目を迎えた妻の心におとずれる変化を描いた映画だ。マーゴは夫のルーと幸せに暮らしており、一見関係も良好に見える、だが、2人の心には微妙なズレがあり、そのこともあってマーゴは今の生活に物足りなさも感じている。そんなマーゴの前に若き青年ダニエルが現れる。ダニエルに忘れていた恋のトキメキと希望を抱くマーゴ。

『テイク・ディス・ワルツ』2011年製作/116分/R15+/カナダ

結局、マーゴはルーと別れダニエルと一緒になるが、それでハッピーエンドという訳ではない。相手が変わっても、結局はまた同じことの繰り返しになりそうな予感を匂わせて映画は終わる。この作品のマーゴと同じで、ユリヤもアクセルとの生活に物足りなさを感じたからアイヴィンに惹かれたのかと思った。

だが、パンフレットの監督へのインタビューを読んで、ユリヤの気持ちに気付かされた。これはユリヤの自己実現の問題だ。ユリヤは頭も良く、何でも器用にこなせる要領の良さも持ち合わせている。人生において『何者か』になりたがっている人物でもある。

アクセルと付き合ってたままでは、自分が成長するスペースがないから苦痛だったという回答は目から鱗だった。確かにユリヤはアクセルとの別れ話の中で「自分の人生の傍観者」と言っている。ユリヤにとって人気コミック作家の良き妻という立場は窮屈だったに違いない。その心情はパーティー会場の時の居づらそうな佇まいからも伺える。あくまでも自分の人生の主人公は自分でいなければ。

『わたしは最悪。』のパンフレット。雑誌風の装飾となっていて凝っている。

そして、二人を別れさせた最も大きな原因は「子ども」だろう。子どもの存在は圧倒的な現実だ。恋愛の夢うつつな時間から引き戻され人生の決断を迫られる。ユリヤに限らず子供を産むという行為は社会で働く全ての女性が直面する問題だ。

30代で自己実現の途中であるユリヤにとって、子どもを産むことによって、人生の筋道を確定してしまうことも重荷だったに違いない。監督も言及していたが、ユリヤとアクセルの年齢差が大きかったことも別れを後押しした原因なんだろう。

パンフレットや映画を振り返ったことで、ユリヤという人物を少しは理解できたかもしれない。だけどアイヴィンに掛けた酷い言葉といい、やはりユリヤ問う人物は好きになれそうもない(アイヴィンを無意識のうちに見下してたないとああいう発言は出ないと思う、その後フォローもなさそうなのもね…)。

ユリヤには終始感情移入できなかったが、物語自体は面白く、終盤の皮肉的な展開とほろ苦い結末も人生の無常さが感じられて好きだった。

本作は映像美も特徴の一つだ。ヨキアム・トリアーの作品は本作以外だと『テルマ』を観ていたが、美しい画作りをする監督だと改めて認識した。感動したのはユリヤとアイヴィンの逢瀬の場面。恋に夢中になっている人間の気持ちを視覚化した映像表現としてこれほどまでに見事な映像はないのではないだろうか。これから先も、一生記憶に残りそうな素晴らしい映像だった。

このオープニングショットからして引き付けられる美しさ。マジックマッシュルームの幻想的な場面も楽しいし、煙草の煙を吸う場面は名場面。

後、本作はサントラも良かった。パンフレットによると、トリアー監督はDJとしての顔を持つらしく、場面ごとの音楽が見事にハマっている。物語ラストのアート・ガーファンクルの「Waters of March」は本作を象徴する曲としても最もお気に入りの曲だ。ちなみに劇中で使われてる曲はこちらのサイトで紹介されているので、興味ある人はチェックしてみてはどうだろう。


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ヴィクトリー下村
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