【どこの国でも教師は大変】映画『ありふれた教室』感想
「教師」という言葉を聞くと大変という印象を抱いてしまう。
過酷な労働環境にモンスターペアレンツへの対応、業務に対しての薄給や責任の重さ…教師に関連する話題としてニュースなどで見かけるトピックだ。実際、近年では教員不足が深刻な問題となっているらしい。
子供が好きなだけじゃなく社会への奉仕精神がなければできない仕事だ。その道を選んだ人を尊敬する。
だが、先生という職業が厳しいのは日本だけじゃなく海外も同じようで…
映画『ありふれた教室』は2022年製作のドイツ映画だ。監督は今作で長編4作目となる新進気鋭の監督イルケル・チャタク。
主演は『白いリボン』のレオニー・ベネシュ。
本作はドイツのアカデミー賞にあたるドイツ映画賞で作品賞はじめ5部門を受賞し第96回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされるなど高い評価を得ている。
舞台は現代のドイツの中学校。
校内で起きた金品の盗難事件を発端に連鎖するように次々と事件が起きていく。事態が悪化していくとともに若手教師のカーラはだんだんと追い詰められていき…というあらすじ。
5月17日に伏見ミリオン座の20時20分の回で鑑賞してきました。お客さんの入りは5割程度で初日のレイトショーにしては少し寂しい。客層は男女半々で年代も様々という印象だった。
ということでこれより以下は本作の感想を挙げていきたいと思う。
※ここから先は作品の具体的な内容に触れています。未見の方はご注意下さい。
面白かった。
終始スリリングに溢れた展開に引き付けられっぱなし。99分という短い上映時間も見やすくて良い。
最初は少人数の範囲で起きていた問題がどんどん拡散して引き返せないところまでこじれていく。
生徒たち、保護者、気が合わない同僚たち…カーラを取り囲むあらゆる環境が彼女を追い詰める。この状況はしんどい。
カーラが自分のクラスに入っていく様子を背中越しから追いかけるシーンが何度かあるが、物語が進むにつれこのシーンのたびに心拍数が上がっていく。可愛かったはずの子どもたちが怖くなってくる。
パンフレットのチャタク監督へのインタビューによると、本作はドイツ社会の鏡を表しており、社会の縮図ともいえる学校は絶好の場所だと語っている。
確かに学校とは学問を学ぶ場所でもあり、人生で初めて「社会」を体験する場所でもある。本作で言えば校長をはじめとする学校側は政府でカーラや生徒、保護者たちは民衆、広報部はマスメディアといったところだろうか。
そういう点では、自分は集団になった時の人間の怖さや、ややこしさも感じた。
それはカーラを糾弾するために団結した生徒たちだったり保護者達だったりと同僚だったりと様々だ。個人だと対話の余地があるのに、集団になった途端に壁のような大きなモノと対峙しているような感覚を覚えた。学校という場所にとどまらず、社会においてこういう場面は多々あるのではないだろうか。
主人公のカーラについても、彼女の言動が間違ってるとは思わないし正しいとは思うけど自分は学校側の考えにも共感できる。
先ほどの話にも繋がるが、社会生活をしていると「そうは言ってもどこかで折り合いつけないといけないじゃない」という場面は必ずある。
悲しいかな、理不尽を受け入れることが社会人になると刷り込まれてしまったのだ…
生真面目で自分の信念を貫くカーラ。
そんなカーラを演じたレオニー・ベネシュの存在感と演技は本作の魅力の1つだ。映画はほぼカーラの1人称視点で出ずっぱりなのだが、彼女の表情や佇まいが素晴らしくて引き込まれる。本作のポスタービジュアルもまるで絵画のようで美しい。
本作はどちらかというとドキュメンタリー風な作りだが脚本も凝っている。特に序盤のオスカーの主張が中盤以降ではひっくり返る展開はなかなか巧み。
1と0.999は=になると証明していたのに対し、母親の疑惑に対しての限りなく黒に近いグレーと黒は違うと主張する。こうしたオスカーの行動は、計算では割り切れない(もしくは計算より複雑な人の心)「人間だからこそのややこしさ」が描かれていて面白い。
こうした伏線は「上手い」と思った一方、リアリティのある作風がゆえ「作為的」にも感じられた。こうした演出をどう感じるかは観る人次第にだろう。
ルービックキューブもいかにもというアイテムで、自分はあざとさも感じたのだけど、それでも最後にオスカーがルービックキューブを差し出す場面は良い。
状況は最悪だしお互いに決して譲れない部分はある。だけど2人は同じ方向を向いているのだと信じたい。
『ありふれた教室』は5月17日より映画館で公開中。気になるかは是非チェックしてみては。