【傑作は時を経ても色褪せないということ】映画『マルケータ・ラザロヴァー』紹介
7月2日から公開されている映画『マルケータ・ラザロヴァー』。1966年にチェコスロバキアで製作された本作は、中世を舞台に王家と部族間の争いと、運命に翻弄される少女の物語を描いた作品だ。
アンドレイ・タルコフスキー監督の『アンドレイ・ルブリョフ』(1971年)、黒沢明監督の『七人の侍』(1954年)などの名作と並び評され、1998年にはチェコの映画批評家とジャーナリストを対象にした世論調査で史上最高の映画に選出されている。日本では今回が初劇場公開となる。
ポスタービジュアルを見た時から気になっていて、場面写真や予告編が流れてくる中で観ようと決めていた作品だ。
今から58年前の作品で上映時間が2時間46分という長丁場。こうした情報から観たい人が観に行くという作品という位置付けになるだろう。興味があってこの記事を読んでいる人の為に、この記事では本作の感想とともに内容も紹介していきたいと思う。
【紹介&感想】
本作はとにかく映像が格好良い。ビジュアルに惹かれて観たが期待を裏切らない素晴らしさ。全編、目を奪われるカットの連続なので映像を追いかけてるだけでも充分に楽しめる。
舞台は13世紀の中世だが、ハリウッド作品にあるようなクリーン化された世界ではない。登場人物達が住む集落は荒れて貧しく、彼等の格好にも野性味がある。お洒落やスタイリッシュさはないが、生々しい映像はエネルギーに満ちている。
この荒々しさすら感じられる映像の製作裏には監督をつとめたフランチシェク・ヴラーチルの徹底したこだわりがあるという。ヴラーチル監督はリアルさを追求するために、役者とスタッフを山中に連れ出し2年も中世と同じ条件で生活させながら撮影したというのだ。
そうした撮影努力によって撮られた映像は多大な説得力を持っている。荒れ果てた荒野や全く整備されていない集落の地面、一歩集落の外に出たら野生動物の危険がある描写など、実際の中世の世界を見ているような感覚に陥るだろう。
これが約60年前に撮られた作品なのだから余計に凄い。創作物全般にいえることだが、時を経ても当時の熱量が感じられるというのは名作・傑作と呼ばれる作品のみが持てる特権だと実感させられた。
鑑賞前はストーリーにハマらないかもしれないという不安もあった。約60年前の作品で3時間弱もある映画だ。事実、すでに鑑賞した方の中には人物の顔が見分けにくいという感想や、話が分かりにくかったという感想も見かけた。
だが、実際に鑑賞してみると想像以上に話は分かりやすく面白い。人物の見分けに戸惑ったのも冒頭くらい。話も章ごとに簡単なあらすじを紹介してくれるので入り込みやすかった。あらすじを簡単にまとめるとこんな感じ。
日本でいうなら大河ドラマに近い感触を抱くかもしれない(ただし、ボヘミア王国を舞台としているが登場人物達は架空の人物達で歴史映画ではない)。そもそも『マルケータ・ラザロヴァー』の原作小説はチェコでは知らない人はいないくらい有名な話らしく、多くの人を引き付けるという意味では王道の物語ともいえる。
大きく分けると3つの勢力があり、登場人物達、各々の思惑が入り混じる。チェコ版『ロミオとジュリエット』と呼ぶには少々乱暴なマルケータとミコラーシュのロマンスも挟まれている。さらに部族間の争いの背景にはキリスト教と異教との対立も伺える。
本作をより深く知ろうとするなら、原作小説を読むなど深い考察が必要だろうが、エンターテイメントとして観る分にも充分に面白い。片腕のアダムは憎たらしい悪役だし、コズリークから軽んじられてるミコラーシュは実は思慮深く優しい側面が見えるのも人間らしい。狂言回し的なベルナルドも面白い(羊の下りは笑ってしまった)。
終始、運命に翻弄されたマルケータだが、終盤自分の意志を持って動き出す。あれだけ憧れていた修道院ではなく、自分の道を進み始める姿が美しかった。
題材的に観る人は限定されるが、興味がある人は是非観て欲しい。そして、60年も経ってこうした作品を劇場公開まで漕ぎつけてくれた配給の方には感謝しかない。