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看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(20)

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2月1日(火)
お父さんが介護保険を11月までしか払ってないのを知って、僕はちょっと怒ってしまった。振込用紙をもらったので、明日払って来よう。味噌汁を飲みすぎたのか嘔吐した。しゃっくりがよく出る。
 
2月2日(水)
お父さんは自分で髪を切った。でも変になってないので驚いた。寒いので外出してない。昨日のように無理に食事してないので、様子は安定している。
 
2月3日(木)
昨日より調子はいいようだ。
 
2月4日(金)
普通。久しぶりに散歩したそうだ。30分ほど日向ぼっこした、と言っていた。
 
2月5日(土)
朝胃の痛みを訴えた。「早く死んだ方がいいな」と言っていた。T病院に電話すると、O先生がいらして、私が行っても薬を処方してくれると言ってくださった。オキノームの5ミリをいただき、父に飲ませたら落ち着いたようだ。
 
2月6日(日)
昨日のことがあり、僕は朝から飲んだくれてしまった。お父さんは痛み止めが効いて調子は良さそうだ。
 
2月7日(月)
顔色はいい。痛みもないようだが、声が高音になっている?
 
2月8日(火)
朝お父さんは久しぶりに僕が仕事に行くとき、見送りできなかったので、ちょっと心配。今日は糖尿眼科の脳MRIの検査。17時頃終わるとのことで時休を取らないで病院に行ったら、18時頃になってしまい、お父さんはだいぶ待って疲れてしまったようだ。夜栄養剤を投与する前に痛み止めのオキノームを飲む。胃も痛かったようだ。
 
2月9日(水)
朝は見送ってくれた。初めて通院のとき雨がふったが、僕が半休をとって、病院につくときにはやんでいた。O先生に胃ろうのチューブの固定をして頂いた。比較的早く終わったが、やはり疲れたようで夜は早く寝た。
 
2月10日(木)
仕事が終わって自宅に電話すると、「明日休みだからゆっくりしてきていいよ」と言ってくれた。僕はその言葉に甘えて外で飲んでから帰宅した。頬の赤味がまた出ていたが、調子は良さそうだった。
 
2月11日(金)
調子はいいようだ。お金の話しになったとき、「お父さんはケチケチしてお金をためたんだ」と言っていた。
 
2月12日(土)
調子は普通だった。
 
2月13(日)
最近僕は教会を休むことが多い。もとろんお父さんが心配だからだが、お父さんは、「教会にいったらいいのに」と言ってくれた。でもやっぱり心配なんだよ。お父さんは寝ている時間が長くなってきたし。
 
2月14日(月)
ちょっと弱った気がするが周期的なものもあるだろうから、過度の心配はやめよう。
 
2月15日(火)
僕が仕事にいっている昼から、ひどい下痢をしたようで、栄養剤の投与が全部できていない。「明日このままなら病院は休むよ。いい時ばかりじゃねぇなぁ」と言っていた。
 
2月16日(水)
下痢は治らず、1時間に2,3回トイレに行く。O先生に電話し状況を説明して、今日一日は通院をやめて、市販の薬で様子を見るように指示をうけた。しかし、体調は優れないままだった。
 
2月17日(木)
僕は休みをもらって、T病院に僕一人で行って、薬を処方していただいた。お父さんに飲ませると、病状は落ち着いたようだった。水は少し飲んでいるようだったが、栄養剤の投与は全然できていないので心配だ。僕は介護がはじまってからは、しょっちゅう涙を流していた。ただお父さんの前では泣かないようにしていた。僕が全力でお父さんを守るつもりでいた。ところがこの夜、苦しそうに横たわってるお父さんを見て、かわいそうなのと自分が無力なのを痛感して、なんとお父さんのベッドサイド嗚咽してしまった。しまったと思ったけど、出てきた涙はすぐに止まらない。お父さんは驚いたようだった。それから弱々しくやさしい声で、「お父さんが泣かないんだから、哲也も泣かないで」と言われた。僕はひどい考え違いをしていた。僕はお父さんを守っているつもりだった。でも逆だった。守られているのは僕の方だったのだ。
 
2月18日(金)
お父さんは今朝から急に目がみえずらくなったようだ。僕が15時ごろ電話したら、「仕事やめることも考えて。お父さんずっと考えていたの」と言われた。ついもれた本音だろう。下痢は収まって、栄養剤を1袋再開した。とりあえず、朝と夜に栄養剤をすることになると思うが、介護休暇は取ってほしいようだった。年次休暇と介護休暇をとって、それが終わったら退職しようという考えが頭の中にまとまってきた。
 
2月19日(土)
朝栄養剤をしたら半分くらいでまた下痢をしたので中断した。ただ昼以降下痢は収まり栄養剤ができたので安心した。
 
2月20日(日)
視力が少し戻ったよう。胃ろうの管理もできている。とりあえず安心した。
 
2月21日(月)
僕が自宅にいるうちにある程度栄養剤を投与したいので、朝3時におきて、栄養剤の投与を3分の2終わらせた。残りの栄養剤の投与の準備をして、僕は仕事に行った。介護はいよいよ大変になってきたが、僕は幸せだった。少しはお父さんの役にも立っているだろう。散々世話から、恩返しできてる気持ちで僕は満たされていた。ところが、帰宅すると、お父さんは、「哲也に迷惑ばかりかけて悪いから練炭を買ってきてくれ」と言われてびっくりしてしまった。「全然迷惑じゃないんだよ、心配しないで、お父さん」と言ったら、少し落ち着いたようだった。辛いだろうなお父さん。
 
2月22日(火)
今日も3時から栄養剤を投与した。今日はT女子医大の眼科の検診。脳の方では視神経を圧迫している様子はないが、黒目の部分に傷があるとのことで、保湿の薬を処方して頂いた。
 
2月23日(水)
 
今日も3時から栄養剤、朝見送ってくれたときは元気そうだが、僕がいつものように半休をとって病院につくといつものケアルームにおらず、南のケアルームにいると看護師のSさんから言われた。お父さんはふらついて転んでいたらしい。連日の病院で疲れたのか。カリウムの値が低くて脱水症状気味だったので、今日は抗がん剤はしなかった。生理食塩水のようなものを点滴して終わった。O先生がケアルームまで来てくれた。体力が戻らないようだと入院を勧められた。帰りのタクシーで「今日は点滴無理じゃないかと思ったんだ」といっていた。表情は明るかった。
 
2月24日(木)
 
今日はいつもどおり6時から栄養剤。目も見えているようで一人で昼夜の栄養剤とシャワーもできた。少し回復したか。声はやはり細いがこの分だと入院しなくてもよさそうだ。僕が「練炭買ってこなくてもいいか?」と冗談で聞いたら、お父さんは面白そうに笑っていた。

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