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看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(22)
3月2日(水)
お父さんはいきなり夜中の12時半頃から栄養剤を投与しだした。「ゆっくりと点滴しないと胃が痛い」と言っていた。時間を勘違いしたらしい。いつもと様子が違うので心配になり、僕は布団をリビングに持っていて寝た。6時前にみてみると栄養剤の量ほとんど減っていない。止まったのか自分でとめたかわからない。「胃が痛いので(栄養剤は)捨ててくれ」といった。昨晩も栄養剤の投与はできなかったようだ。痛み止めのオキノームを飲ませてたら、少し吐いた。8時半ころ行くと、痛みは少し戻ったらしいが、つらいからT病院に行きたくないという。僕は涙顔で説得して、タクシーで病院に行った。途中で「もう通院は無理だ」といっていた。トイレに行くとき呼吸がつらかったようだ。北のケアにまずいったが、やはり南のケアに移り点滴をしたが、「トイレに行くのも辛い」といっていた。O先生に入院させたいと言おうと思ったら、先生の方からから「緊急入院しましょう」といわれた。南の緩和医療の311に入院し、外来のO先生のところに行くと、「今回は覚悟してほしい」と言われた。腎不全を起こし、白血球が2万(普段は5,6千)だそうだ。自宅に帰り着替えやラジオをもってまた病院に行ったが、「今日はラジオは聞きたくない」と言う。目の周りにくまができてるのが気になる。医療スタッフに囲まれていることにはは安心したらしい。
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