看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(12)
7月18日(日)
散歩は少ししかできていない。本人も体力が落ちた、と言っていた。右目の目やにがやけに多いのが気になる。
7月19日(月)
海の日。調子は戻ったようだが、食欲がない。僕が昼寝をしてるとき、散歩にいってきたようだ。
7月20日(火)
今日も昨日くらいの調子。やはり食欲がない。僕は牛乳と饅頭を買ってきた。父はダイエーで水を買い、1000円の床屋に行ってきてだいぶ短髪になった。
7月21日(水)
調子はいいと言っていたが、いつも僕が出勤するときは、玄関まで見送ってくれるのだが、珍しく見送れず、横になっていた。調子が悪いのかな?
7月22日(木)
今日は朝見送ってくれた。そういえば、お父さん言ってたっけ。お母さんが亡くなって、僕はお父さんが仕事に行くとき、とても悲しそうに「行ってらっしゃい」と言ったそうだ。お父さんは「あのときは辛かった。ずっと哲也のそばにいてあげたかった」と言っていた。へえ、そんなことおもってたのかと思ったら、今ではお父さんが僕に「行ってらっしゃい」を言う。ああ、そうかお父さんはこんな気持ちになったのだな、と思うと、ボロボロ涙が出てきた。しばらく通勤時時間は泣きながら仕事に向かっていた。
7月23日(金)
親戚のことを話題に出したので、病気のことについて、「親戚に電話しようか?」といったら、いいと言った。なにか思い詰めているようだった。
7月24日(土)
宿直勤務。昼と21時ころ電話をした。引越しの段ボールが届いたと嬉しそうに言っていた。食欲はないようで牛乳を飲んだくらいだった。
7月25日(日)
非番。朝帰る前に電話をしたが、「火事」という言葉がどうしても聞き取れなかった。耳もだいぶ悪くなってる気がする。
7月26日(月)
朝は見送ってくれた。昼電話したときは調子が7月26日(月)
朝は見送ってくれた。昼電話したときは調子がいいといっていたが、帰ってきてみると調子は悪そうだった。
7月27日(火)
昨日買ってきたうなぎを朝と昼とで食べた。夜僕がかえってくると、親族のSさんに電話してガンのことを伝えた。2週間位ずっと電話するかどうか考えていたそうだ。電話を終えるとすっきりとした表情をしていた。
7月28日(水)
急に明日の通院に付き合いたくなって、明日夏休みを申請した。親族のKさんから僕の携帯に電話があり、父と話した。
7月29日(木)
化学療法科の診察のみ。病院でケアマネのTさんと会った。O先生は「今後シスプラチンの量を減らすか、TSだけにするか考えてます」と言っていた。お父さんは病院の往復で歩いたので疲れたと言っていた
7月30日(金)
新しい団地の契約の日。僕だけでもう一度団地に行き、部屋をみてレイアウトをチェックした。よる親族のSさんから電話があり、明日5人で見舞いに行くと言っていた。
7月31日(土)
朝トイレに行く土地だいぶふらついていたので介助した。親族5人がいらして下さった。お父さんも嬉しそうにしたいたのでよかったと思う。僕はみなさんの帰りを見送る途中で仕事を辞めたい旨を話したら全員に反対された。朝のふらつきも心配なので夜勤を外してもらえないか職場に相談しようと思う。
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