「Vの安売り」はやめましょう
前書き
久し振りに更新します。
昨日の撮影から帰っている途中、現場に居た知り合いからLINEが来ました。私の脚立にホモ乗りして撮っていたんですが、切り位置や背景やバランスなど、自分の写真をTwitterに公開するにあたっておかしい所がないか審査して欲しかったみたいです。
編成写真としては大して欠陥は無かったのですが、私は今すぐ公開するのは止めるよう進言しました。
別に即上げを制止したわけではありません。珍しい列車を撮った時点でネットに公開するとその先の区間に人が集中してトラブルを誘発するため控えて然るべきですが、その列車に関しては既に目的地に到着していたのでこれから人が集まるショバなんて無かったからです。
でも投稿するのは止めてもらいました。
何故か?
「Vの安売り」をして欲しくなかったからです。
SNSは便利だけれど
今もTwitterやインスタグラムのタイムラインには様々な写真が投稿され、見た人が評価して拡散して世界中に広がって行きます。
撮影者(クリエイター)にとって、SNSは自分の作品の客観的な価値を手っ取り早く知る事が出来ると同時に新たな人脈形成を行う事が出来る便利なツールであり、今やビジネスにも欠かせないのは言うまでもありません。
また写真を介したコミュニケーションがインスタを中心に発達する今は、一般人にとっても「映える」事が一つのドレスコードであると言っても良いでしょう。
しかしこうしたバーチャル世界での風潮は現実世界に重大な影響を及ぼしています。撮った写真を「映え」の欲求に任せてポンポン上げた結果、他の撮影者が損する事になってしまっています。
わかりやすい例を挙げましょう。
「千葉フォルニア」をご存知でしょうか?
千葉県袖ケ浦市の真っ直ぐな海岸線にヤシの木が並び、南国リゾートを彷彿させるオシャレな雰囲気から一躍脚光を浴びた場所です。
しかしこの場所、今はこんな綺麗な写真を撮る事はできません。
工場が立ち並ぶ海岸線に通った片側2車線の道路にはトラックが頻繫に行き交います。そういう場所で路駐をして右往左往しながら撮影に興じる観光客はあまりに危なっかしいのです。
結果、市は「映えない」場所にする事で撮影意欲を削ぐという強硬策に打って出たのです。
貴重な観光資源でもあるため伐採は避けられましたが、最悪のケースも起きています。2016年、北海道は美瑛町にあるかの有名な「哲学の木」は耕作地に乱入する観光客が後を絶たず切り倒されてしまいました。
(引用元:インスタ映えスポット「千葉フォルニア」に異変 一体何が? | NHK | News Up | おはよう日本)
綺麗な写真が上がると「自分も撮りたい」「行ってみたい」と思うのが人間の性です。盲目的に何でもかんでもアップロードしてしまった結果、撮影地に多くの人が訪れ、グレーゾーンは黒で塗りつぶされ、破滅してしまうのです。これは決して大袈裟な話しではありません。
美瑛町では懸命に啓発活動を行っているようですが、それで全てのトラブルを撲滅する事はできないのではないかと思います。
じゃあ、何が出来るのか?
SNSに上げなければ良い。
鉄道写真の難しさ
先述した事例はいずれも観光地でしたが、鉄道写真の撮影地はよりシビアな状況下で撮影する事を強いられます。
編成、風景、スナップ、俯瞰、バルブ、闇鉄……ほとんどが暗黙の了解のもとに撮影できている現状です。定番と言われる撮影地でも、警察や列車見張り員が巡回して注意喚起を行います。ちょっと珍しい物が来れば、何時間も前からカメラを構える人が居て通過直前には数十人規模の雛壇が組みあがります。無名な場所であっても写真をネットに上げれば拡散され、特定され、同じような好条件を、作例よりも良い構図を求めて他の鉄が押し寄せます。
そして人が溢れかえるとどうなるか。仲間同士ならまだしも、顔も名前も分からない人が何十人も集まると統率が取りにくくなります。そういう場合は時間をかけて統制していきますが、全ての撮影地でそれが出来るわけではありません。撮影地や周辺地域の事情を知らない「にわか」も多く訪れ、彼等が粗相をする事でそれまで良かった治安が悪化する事もあります。
只見線で長年撮影していたベテランの撮り鉄が2月に投稿したツイートが大きな話題を呼びました(全貌はこちら)。
良い写真を見せればその場所に人を呼び込む事が出来る。SNSは新しい形で観光開発を行う事が出来る革命的なツールです。自身が発信者となり、社会現象を起こすこともできてしまいます。しかしやり方を間違えれば自分で自分の首を絞める結果に繋がってしまうのです。
そういう事情を何も分からず、深く考えずに撮ったものをひたすらネットに出しまくる人があまりに多すぎる。だからこそ彼のツイートは大きな反響を呼んだのでしょう。ハッとさせられたんです。
でも、あのツイートにハッとしたんじゃ遅いですよ。ブルートレインも消え、国鉄時代の車両も年々減って慢性的な被写体不足に陥っているのに対し、高度情報化と撮影機材の高性能化・低価格化で参入障壁が下がって撮り鉄の数はここ数年で著しく増加する、需要と供給の逆転現象が起きています。鉄道写真のイロハを教わる先達が居ない一匹狼が無数に誕生し、ある時点で世代交代に失敗してしまったのです。
良い写真を上げる事は猛獣の檻に餌を投げ入れるようなものです。
列車は線路の上を走るから、それが見える所でしか撮れない。通常の風景写真よりも圧倒的にフィールドが狭く、制約も多い。
被写体に飢えた大量の撮り鉄は少ないパイの奪い合いをしているのです。撮影条件の厳しい編成写真であれば尚更。一つの線区に1ヶ所あれば良いような好条件の撮影地、それもかなり限られた範囲に撮影者が大挙して押し寄せる事になるのです。
それに、鉄道写真が真の価値を持つのは、撮影直後ではなく何年も何十年も経ってから。既にその時撮影した被写体が消え去り、時代が変わってしまってからです。すぐに上げた所で同じ被写体を撮っている人はいくらでも居るし、どうしても他と比較されがちです。まだこの先より良い条件で撮れるかもしれないし、それこそ誰かに真似されたり二番煎じが大量発生してしまいます。
撮影地への最大の貢献
だからこそ「無闇に写真を出さない」事は今の時代に必要なリテラシーの一つだと感じるのです。撮影地は貴重な資源であり、先人たちが開拓し、地域住民や現業機関との友好的な関わり合いや暗黙の了解によって脈々と受け継がれてきたもの、そして未来へ受け継いでいくべきものです。
いま、我々が好き放題やってしまえば未来に生まれて来るはずの新たな撮り鉄が苦しむ事になるし、我々自身もこの先思うように撮れなくなるのです。
撮り鉄には自浄能力がないと言われますが、即上げや晒しを非難する声はそれこそ撮り鉄が持つ数少ない自浄能力だと思います。ただでさえ迷惑な事をしている我々は、周囲にかかる迷惑を最小限に留めながら撮影を行う義務があるのです。その義務を遂行するための努力の一つが「無闇に写真を出さない」事だといっても過言ではないでしょう。際どい事をやる時も「バレるな・見せるな・隠しきれ」を鉄則にして上手くやらなければいけません。上手くやれば迷惑がかかる事はなく問題にもなりません。昔できた事が今できない理由の大半は下手な奴がやらかしたのが原因です。間違っても際どい事をしている自分に酔いしれてはいけません。
アップロードした写真につく鍵アカウントからのリツイートを疎ましく思う人が居ますが、彼等は嫌がらせでリツイートする訳ではありません。気にするぐらいなら上げなければ良いし、彼等の狙いはそこにあります。平和で安全な撮影環境を維持したいという切なる願いの表れなのだと受け止めるぐらいが良いのです。
数年前に日本野鳥の会が示したガイドラインがニュースに取り上げられて話題になりました。それこそ「営巣中等の写真や映像をSNSで公開しない」「詳しい撮影地は公開しない」など、平和に撮影できるための努力義務として情報統制を呼びかけています。愛鳥家たちは、権威のある組織による統制に従って節度ある活動を行えているのです。鉄道写真の場合、これが機能不全に陥っているがためにあらゆる問題が起きているのです。
情報統制は、特定の被写体・特定の撮影地に不特定多数を呼び込む事を避けて余計なトラブルを未然に防ぐために出来る最大の努力であり、我々が出来る撮影地やその地域への最大の貢献たり得るのです。
「Vの安売り」をしないために
私が提唱する「Vの安売り」とは、折角撮れたVな写真をSNSというハイエナの巣窟に投げ入れる事は、自分がその写真を撮るまでにかけた苦労や撮影時に味わった喜びを軽視するに等しい愚かな行為である、という意味を込めた皮肉です。
私も撮影した写真をSNSに投稿していますが、投稿する写真は慎重に選んでいます。自分が撮った写真が多くの人に評価される事は嬉しい事です。しかしその結果として既に述べたような事が起きては自分のせいになってしまいますし、最終的に自分が損をしてしまいかねない。
もちろん写真は世に出してこそ価値を持つものですし、SNSに限らずどういう形で発表しても悪影響が一切ないという事はありえません。それでも良い写真には「適切な出力」があるもので、出し方にも気を遣う事でその写真に最大限の価値を持たせる事も出来るのです。
上手い人達は、数ヶ月・数年単位の長期保存をしながら堅実にカットを貯め続け、その季節や年が過ぎ去ったり被写体が営業線から退いたりするまでの「現場の勝負」を終えてから、良い物を選りすぐって世に出しているものです。それがSNSで高い評価を得たり、カレンダーになったり、フォトコンテストで上位入賞を勝ち取ったり、展覧会で様々な人の目に触れたりしています。
写真展を行えば沿線自治体や鉄道会社のPRに一役買う事が出来ます。自分の活動に社会的な意味を持たせる事が出来ます。更に、商品として売り出せば経済的な利益をもたらす事も出来ます。これらに使う写真をSNSに既に載せてしまっていると目新しさに欠け価値は下がってしまいます。ギャラリーには多くの人に来てもらわなければ困りますし、商品は多くの人に買ってもらわなければ利益になりません。それらの写真がSNSで見られてしまえば無意味ですよね。
私も、よほど良く撮れた写真は、たとえ親しい間柄であっても軽々しく見せる事はせず、長期保存のストックにしまっておきます。
季節感のある写真を撮って集めて選りすぐってカレンダーにしたり、年間で最も良く撮れたと思ったら年賀状に使ったり、流行りの「エモい」写真が撮れたら部活の写真展に持って行ったりして、自分の写真に何らかの価値を持たせようとしています。SNSで公開しているのは「可もなく不可もない」レベルのもの、上記の目的には使えなさそうだけどお蔵入りするには惜しいようなものがほとんどです。
お金を払ったりギャラリーに足を運んでまで見たくなるような写真があれば、自分の活動に社会的な価値を持たせ、貢献できます。その写真が中途半端な出来であって良い筈はなく、冒険心と向上心を持って「自己満足以上」を常に目指しています。
むすびに
好きな事をして自分も周りも良い思いが出来れば、これほど素晴らしい事はないと思います。迷惑をかけるのは撮影する時だけ、なおかつ最小限に留めて、その迷惑を帳消しにしてお釣りが来るぐらいの価値を持たせましょう。
だからこそ私は「Vの安売り」はせず、むしろ世間に対して高値で売り込む覚悟でやって行こうと思っております。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
なお、この記事を書くにあたって参考にした他の方の記事を置いておくので併せてご覧下さい。
https://note.com/kenohki/n/n223a66ecb5b8