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研究紹介⑴:生き物の世界を覗く

「ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll)」という人を知っているでしょうか。彼は19〜20世紀を生きたエストニア生まれの生物学者です。彼は環世界(Umwelt)という概念を提唱した人物として知られています。私はユクスキュルの生物学理論の研究をしています。

彼は生物学者でしたが、他の多くの生物学者とは全く異なるアプローチで生き物を理解しようとしました。多くの生物学は身体の仕組みを理解しようとする学問です。骨と筋肉はどう繋がっているのか・胃や腸はどのような機能をもっているのかを解明するのが一般的な生物学です。

では、ユクスキュルという人はどのような生物学を作り上げたのでしょうか。彼は生き物の身体の仕組みではなく、「他の生き物がどのような世界を生きているのか」を探求した人物です。

猫を知ろうと思ったら、どうすれば良いでしょうか。もちろん猫の身体の仕組みを知ることは重要です。猫の消化器官の仕組みを知ることで、猫の健康に良いペットフードの開発なども可能になります。しかし、それでは猫がどのような世界を生きているのかを知ることにはなりません。

ユクスキュルは生き物の生きている世界を知るための生物学を作り上げました。そこで、彼は生き物はそれぞれに固有の世界を生きていると述べ、その世界を「環世界(かんせかい)」と名付けました。(環世界はドイツ語のUmwelt という語の訳語ですが、元のドイツ語は日常的に環境や周囲をさして広く用いられる言葉です。)

彼の理論は同時代人だったハイデガーやカッシーラーなどの哲学者に影響を与え、その影響は現在まで続いています。哲学者ジル=ドゥルーズが好んで用いた環世界の具体例を見てみましょう。

ユクスキュルは環世界の最も単純な例として「マダニ」という森などに生息するダニの世界を分析しています。

マダニには眼がありません。その代わりマダニは表皮で光を感知することができます。マダニは光を感知すると、木の枝にのぼって次の刺激がやってくるのを待ちます。そうすると、木の下を鹿や熊などの哺乳類が通っていきます。哺乳類からは酪酸という化学物質が出ており、マダニはその刺激を感知して木の枝からジャンプします。上手く動物の背中に着地すると、今度は皮膚の体温を検知し、血を吸うのです。

マダニは光・匂い・温度の他には何も感じることもなければ、知ることもありません。ダニにとって、世界というものは「光+匂い+温度」しか存在しないのです。ダニの世界に他のものは端的に存在しないのです。このたった三つの構成要素だけから出来た世界がダニの環世界なのです。

人間の世界には無限と言っていいほどの構成要素があります。スマホや本、コップに冷蔵庫。他にも、ハリー・ポッターのような実在しないものも、人間の世界を形作る要素となります。人間からすると、世界はあまりにも広く、巨大で膨大です。

しかし、全く異なる世界を生きている生き物たちがいる。ユクスキュルという生物学者はこの異なる世界を覗こうとした人なのです。普段われわれ人間が見落としてしまっているかもしれない、別の世界を彼はわれわれに見せてくれます。

気になる方は是非ユクスキュルの『生物から見た世界』という本を手にとって見てください。

次回へ続く


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