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研究紹介⑵:動物は「閉じている」?

前回の記事で生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルという人物が新たな生物学を構想したという話を紹介しました。具体に的には、環世界(Umwelt)という概念によって、生物はそれぞれ全く異なる世界を生きているのだということを示そうとしたのでした。

ユクスキュルの主張は世界は眺め方によって異なって見える、ということではありません。一つの世界をさまざまな生き物が各々の視点で見ているのではなく、そもそも世界というものがいくつもあるという主張なのです。(近年、人類学で注目を浴びた多自然主義に近いイメージです。)

ユクスキュルは生き物が生きている固有の世界をシャボン玉になぞらえて表現しています。さまざまな動物は自分を取り囲むシャボン玉という環世界に閉じ込められて、その世界の中を生きているというのです。

この環世界という概念は、以前記事で紹介したダニの例のように極端に切り詰められた構成要素(光・匂い・温度)からなる世界というイメージが先行し、一種の理想的な自閉状態として実存的に解釈されるということがしばしばあります。

つまり、色々と気が散って無限に意識が拡散していってしまう人間に対して、ダニは特定の事物にのみ集中し、他のものが見えなくなるような理想的な集中状態を生きていると理解されたりもします。(個人的にはこういう解釈は好きですが…)しかしここでは、そのような有限性や享楽に繋がる話は一旦置いておきましょう。これは別のところで改めて論じます。

さて、ここでは世界がシャボン玉のように「閉じている」のというのはどういうことかを考えてみたいのです。世界が閉じているとはどのようなことでしょうか。

以前の記事で、ダニの世界は光・匂い・温度の三つの刺激から出来ていると述べましたが、あまり正確な表現ではありません。ユクスキュルはダニの環世界は光・匂い・温度に対応する三つの環から出来ていると述べています。この辺りから少し抽象的な議論になっていきます。

ダニの環世界は三つの環から構成されている。ユクスキュルはこの環を「機能環(Funktionskreis)」と呼んでいます。ダニの世界が閉じている理由の一つはこの機能環が閉じているからです。では機能環とは一体何のことでしょうか。

正確な表現ではありませんが、一言でいえば、自然の中にある情報のループのことです。こんなことを言っています。

Jedes Tier ist ein Subjekt, das dank seiner ihm eigentümlichen Bauart aus den allgemeinen Wirkungen der Außenwelt bestimmte Reize auswählt, auf die es in bestimmter Weise antwortet. Diese Antworten bestehen wiederum in bestimmten Wirkungen auf die Außenwelt, und diese beeinflussen ihrerseits die Reize. Dadurch entsteht ein in sich geschlossener Kreislauf, den man den Funktionskreis des Tieres nennen kann.
あらゆる動物は主体である。それらはその独自の組み立てられ方のおかげで、外界の普遍的な作用から特定の刺激を選択し、それに特定の仕方で応答するのである。この応答は外界への特定の作用であり、それがまた刺激にも影響を与える。これにより、動物の機能環と呼ばれる閉じた循環が生じるのである。  (von Uexküll. Jakob. 1928. Theoritische Biologie, zweiten Auflage. Springer, Berlin. p. 100) (太字は引用者による)

他にも機能環の説明は随所で登場するのですが、これがわかりやすいかと思います。これは言わずと知れたネガティブ・フィードバックというやつです。これは生き物に固有の情報処理というわけではありません。今ではエアコンにすら組み込まれている仕組みです。

ネガティブ・フィードバックはのちにサイバネティクスの基本となる考えで、インプット→アウトプット→アウトプットの影響を踏まえたインプット→修正されたアウトプット→…という情報の循環を指しています。この概念が重要なのはこれが目的論的な概念だからです。

引用のような記述を見ると、ユクスキュルは動物=機械と考えていたのか?と思ってしまいますが、彼の面白いところは、この仕組みが主体という概念と何らかの関係があると考えているところです。もちろん、フィードバック・ループと主体という概念の間には直接的な論理関係はありません。ユクスキュルはどのようにこのあいだの論理を埋めていくのしょうか。

次回に続く。

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