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もつべきものは友



「持つべきものは友」
最近軽く使われてる気がするけど
この言葉を深く感じる事があった。

福島県出身の私は、がっつり2011.3.11の影響を受けた。
断水や停電等、インフラの復旧の目処も立たないような時期だった。
スーパーからは食料が消えて、
移動に必要なガソリンも消えて
どこかで食品、ガソリンが販売されている情報に流されて、我先に買いに行ってデマだったみたいな人たちがたくさんいた。

水道局員や電力業者の想像できない程の努力があって自分の自宅は電気が戻るのが早く
断水も他の地域ほど長引かなかった。

するとおばあちゃんや母は、
知り合いと言う名の知り合いを家に呼び
みんなをお風呂に入れた

当時の俺は、いろんな人がお風呂に入りに
家に来る事を正直嫌だと思っていた。

思春期の中学生がちょっと知ってるくらいの人達が家に来るのは嫌だったし、なんでわざわざ呼ぶの?って思ってた。


またしばらくすると水が止まった。
そんな事の繰り返しの日々だった気がする。

まだ断水中のある日、荷台にオレンジのタンクを載せた軽トラが家の前に止まった。

初めて見るおじさんだった。
おばあちゃんの知り合いらしい

「うちさ井戸あるから水くばってんだ」

今聞くとただ水を配ってくれてる優しいおじさんと思うかもしれない。
でもあの当時の感覚は全然違う。

もちろん水はないから心から嬉しかった。
でもそれよりもあの当時はガソリンもなかった

車社会の田舎では車が使えないのは致命的だった。
買い物をするにも給水所に水を取りに行くのもとてつもない距離を歩いて重い荷物を運んだ。
ガソリンが貴重過ぎて家の前の道路でバトミントンが1試合できるくらい車が通ってなかった

どれくらい伝わるか分かんないけど
自分のガソリンを人に水を配るために使う事はその当時とてつもない自己犠牲だった。

「ガソリンの一滴は血の一滴」
まさにこれくらい貴重だった。

そんな時に自分のガソリンを使って
知り合いのために水を配り歩いてるこの人は
なんなんだって心から思った。

あれ程、心から感謝した事がないくらい
純粋なお辞儀をした。

その後もおじさんは何回か水を持ってきてくれて、いつも前向きに話しかけてくれた。

いつもおじさんが帰る時に
「持つべきものは友だね〜」って
おばあちゃんが言ってた。

それを聞くたびに俺にはこんな事してくれるような友達できるのかなとか思ってた。

それから数年経って自分も高校生になった。
震災の被害も落ち着いて
復興してきたかなって時、母から聞いた。
「震災の時、水運んできてくれたおじさん、
亡くなったんだって」

おばあちゃんの知り合いで
名前も顔もうっすらしか覚えてないような
おじさんの死にあそこまで気持ちが揺らいだ事はなかった。
本当に悲しくて数日間、当時の事を考えた。



きっとおばあちゃんは恩を売ろうと思って
知り合いを家に呼んでお風呂に入れてない。
でも辛い時に支えてくれた人って何年経っても覚えてる。あそこまで悲しくなれる。

やっぱりそれだけ人に尽くせて
人望が厚い、人間味のある人には返ってくる

おばあちゃんや水をくれたおじさんにはなれそうにないけど、俺も人が辛い時支えたいし
俺が辛い時に支えてくれた人は一生大切にする
綺麗事じゃなく心から思ってる。

「もつべきものは友」

時が経って、この記事を書いて冷静に考えると
震災で経験した事は、案外今の自分を作ってるのかもしれないと思いました!
とても地元に帰りたくなりました。以上!!

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