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脱げるけど履けない…?

 住居型の施設では、夜の巡視に気を遣います。
 デイサービスでは、レクリエーションや食事、おやつ、お風呂。その度に利用者に声をかけてトイレに誘導。中で介助が必要であれば介助していた。
 ところが、住居型の施設ではそういう訳にはいかない。部屋は入居者の自宅であり、個々の空間です。鍵をかけて休まれる方もみえる。こちらとしても夜間はゆっくり静かに睡眠をとっていただきたい。行き過ぎず、行かなさ過ぎず、音を立てずに巡視する。
 もちろん、最近転倒した人、ベッドから転落した人、普段から歩行が不安定な人、排泄後に汚してしまう人、チューブ類を自己抜去する人、おむつの人、体位交換が必要な人等、その時その時でピックアップし、該当する入居者に対しては、訪室回数を増やしている。
 ある深夜、その男性の部屋の前を通ると物音がした。そっと扉を開けてみると、彼はベッドの端をに腰かけている。認知症があり、排泄前後に汚してしまうので、マークしていたのだ。上半身はパジャマを着ていたが、予想通り下半身には何も身に着けていなかった。シーツや上着の背中の部分を確認したが、幸い濡れてはいない。
 リハビリパンツが濡れて、トイレに行ったようだ。気持ち悪くて目覚めたのだろう。トイレのドアは開放されており、中は電気がついたままだった。便器の中には尿がそのまま残っていたので、流した。床を汚していることが多いが、床もきれいだった。はて、脱いだズボンやリハビリパンツはどこに行ったのか?
 トイレの隅には、介護スタッフが汚れ物を入れられるように設置したA4サイズの箱と、その箱の隣には新品のリハビリパンツが置かれている。明るいからよく見える。こういう時いつも思う。汚れたパンツや濡れたズボンは脱ぐことができるのに、なぜ新しいパンツを履けないのか?と。

 例えばトイレとは違う場所――ベッドサイド等で汚れたズボンやリハビリパンツを脱いだなら、傍にないので、物理的な原因もあり、新しいパンツを履くことができないのはまだわかる。今回もそうだが、汚れたものを所定の場所に脱いで入れることができた。にもかかわらず、傍に置いてある新しいパンツになぜ目がいかないのか。新しいパンツをなぜ履けないのか、なぜ認識できないのか。すぐ隣にあるのに。(しつこい)。謎。
 認知症が進行すると、日常生活で、できないことが増えてくる。今までどうやってやっていたのか、ここまでどうやって来たのか分からなくなる。彼もトイレに行って、パンツを下ろして…というトイレの中での一連の動作がわからなくなっているのか。そう考えて見ていると、あら不思議、きちんとできているときもある。
 そこで、パンツが濡れて気持ち悪くなった→トイレに行って、リハビリパンツやズボンを下ろす→便器に座り、汚れたものをその辺に脱ぎ捨てる…ここまでの動作は、恐らく彼の「濡れて気持ちが悪い」という本能がさせたのではないかと考えてみた。すると、その後の、新しいパンツやズボンを履くという行動には、理性的な印象が感じられることに気づいた。男性は濡れたパンツやズボンを脱ぎ捨てることで、「濡れて気持ち悪い」から解放された。本能的に彼は満足だった…そこで動作が完了してしまったのだろう。
 でも、履いてほしいな。新しいパンツ。



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