「そして、バトンは渡された」を観た、塾の先生の感想(ネタバレ注意)
常々、塾の先生をしていると、子供が親から受ける影響は、とても大きいということを感じます。
作中に出てくる優子は、とても複雑な環境で育っています。3人の父親に、2人の母親。
産みの親と育ての親は違い、ましてや父親に関しては3人もいます。
それでも、優子は、幸福に、逞しく生きていきます。
幼児期である1歳〜6歳、幼児期である6歳~12歳、思春期である12歳〜18歳にどのように育てられるかで、子供の人格は決まってきます。
(作中の同級生である早瀬は、その典型です。親から与えられる過剰な期待や抑圧によって、上手く笑えなくなっていることが描かれています)。
そして、優子は笑顔でいることが、生きてくためには大切なことであると心に刻んで生きています。
これは母親である、梨花の教えです。この教えは間違っているものではないですが、作中では少し歪んで描かれています。
優子の笑顔は、他者との衝突を避けるための、処世術的な意味合いを帯びているのです。
他者の存在なしに、人格形成はできません。他者と衝突し、痛みを知り、許しを知って、人格はつくられていきます。
そして、一番身近な他者は、親です。
人生で大切であると教えられた笑顔が、つくられたもので処世術じみていることは、優子にとって大切な他者であった水戸や梨花、泉ヶ原がいなくなってしまったことが関係していると言えます。
衝突するはずの他者が、度々、いなくなってしまうのですから。
そして、友人などとのコミュニケーションに戸惑っているシーンが度々描かれます。
そんな優子が立派に育っていったのは、第3の父親、3番目にバトンを受け取った森宮さんの影響が大きいでしょう。
優子の因縁を受け止め、ひたすらに娘のために走り続けた森宮さんによって、優子の命運は決まりました。
つまり、この第三走者の走りが、優子をすばらしい人格へと導いたのです。
森宮さんが、もし優子を温かく包み込める器量を持つ人ではなかったら……
森宮さんが、もし優子を独占しようと、躍起になっていたら……
森宮さんが、優子の生活より、自分の生活を優先させる人であったなら……
優子の人格を破綻させる要素は、いくらでもあったのです。
ただ、彼は、優子のことを1番に考え、どうしたら愛情を伝えられるか、父親なりに考えたのです。
そして、それを可能にする経済力も持ち合わせていました。
そんな第3走者のおかげで、優子は見事に立派な大人へと成長していきます。
森宮さんは、子どもを育てるのが、親の務めであるという強い想いを抱いています。しかし、彼は子育ての仕方がよく分かりません。結婚したと思ったら、突然、人の親になったのですから。ましてや血のつながっていない子供です。どう子供の成長に関わっていけばいいか分からず、不器用に娘と接していきます。
しかし、彼は愛情に満ちた人でした。そして、愛情を料理というカタチで、優子に与えていくのです。優子が曲がりなりにも、立派に育っていったのは、この料理のおかげでしょう。森宮さんの料理があってくれたからこそ、優子は嫌なことがあっても、家に帰り、食卓につくことができたのです。
一生の仕事を親の影響を受けて決めることは、よくあります。ただ、それは大体において、親の職業から影響を受けています。それが、優子の場合、森宮さんの手料理から、人生の進路を決めています。そのくらい彼女にとって、森宮さんの手料理は大きなものだったのです。
深い愛に溢れたリレーの第三走者によって、優子は幸せな未来へと運ばれていきました。
今が幸せなら、過去も幸せ、そしてきっと、未来も幸せ。森宮さんの誠実な親の愛こそ、現在の優子が、過去を恨みもせず、未来の幸せへと歩めている理由だと思います。
親に愛されて育った優子は、慈悲深い母親になることでしょう。
親の愛と、その愛への感謝の気持ちが、人を立派な人格へと育ててくれるのですから。
そしてそれは、血の繋がりとか親と子といった役割とか、そういうのとはまた別な問題なのですね、きっと。
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