なった「つもり」
自分にかかっていた負担が減り、気持ちにも余裕がで始めたこの頃。落ち着いてみればふとこんな気持が込み上がり、人間誰しも同じような形で自己を成形するものなのかな?といやぁな気持ちになったりする。
無責任で他責思考な人間を嫌い遠ざけたいと思いながらも、ときにはそうあったほうが生きることが狡く楽なのかもしれないと肯定的に思えたり。自分より弱い人間をそばにおいておいたほうが強い自分で居られるのかな、とかね。
身勝手に振る舞っても、嘘をついたり、他人を利用しても、人のせいにしながら被害者ぶったり、はたまた攻撃しながら生きるのも。自分で責任を取ってフォローできるならしてもいいのかなと思えてしまう。
つい楽に生きたくて馬鹿なふりをしてみたり一生懸命になることをやめたりもしたけど、他人ともっと関わったり、勉強したり、考えを覗いてみたり。
つまみぐいで、その場その場でノリで「なったつもり」「わかったつもり」になってもいいのかな。「幸せになったつもり」「治ったつもり」「受け入れたつもり」とか。
んな上手くいかねーーよ!ってわかってる大人の頭をもった自分と、「なったつもりでもいいじゃん!」という良くも悪くも無神経な若い頃の自分。
そして、私はあらためてこう考える。
大人になった自分からまたさらに育っていきたいなって。
そうだね、そうしよう。
無自覚で悪意を思わせる無神経はむなくそ嫌いだけど、自分の責任の果たせる範囲でなら無神経になることを上手く使おうと改めて思い直しました。
皆さんは過去の自分に戻りたいですか?
私は、過去の自分に励まされることはあるけれど、今の自分が好きだし、多分この先のまたなにか成長して実現した自分のことを好きになれると思うのです。
そりゃあ嫌だった自分もいるけど、乗り越えてきたなあと思うし、対人面でこうなりたい自分というのもなんとなくみえます。
こんなふうになりたいな、っていうものが。
なったつもりではなく、そうなりたいなって思えたら、明日から行動が少しかわるかな。