物を乞う(1)
学生時代、フランスに研修旅行に行ったときに大きなショックを受けた。地下鉄で子供がスリ(泥棒)をしたり、町には物乞いがいるのだ。向こうでは日常の光景のようだけれど私はこれが大変なショックだった。
人のものを平然と奪う行動をすること。
少年たちは当たり前のように観光客に近づき、鞄に手を伸ばして奪おうとする。悪びれることもなく。地下鉄にのっている周囲の大人もそんなことは日常茶飯事なのか、自分の身を守り他の被害者などに関心など持たない。友人のバッグに少年が手を伸ばし、私はパシンと手を叩き咎めた。言葉は通じないだろうから態度で憤りを表した。
少年たちはまた別の「盗れる相手」を探し移動した。
他人から物を乞うこと。
休日だったのでお店はほとんど休み。お腹が空いたのでキッチンカーでバゲットサンドを買った。たしか、カマンベールチーズとハムと卵が入っているようなものでバゲット丸々1本分、ちょっと多いなと感じていた。
食べたい量を食べ、紙にくるんで鞄にしまっていた。その光景を目にした老婆がすかさず私に近づいてきた。見た目はボロボロで髪の毛はバサバサに絡まる。年老いて痩せ細った身体、みすぼらしい身なり、汚れた肌。哀れな姿だ。
「s'il vous plaît (シルブプレ)」※お願いします
哀れな風貌の老婆のジプシーは私に物乞いをした。明らかにそのパンがほしいのだと解る。私はこの量のパンを食べる気はなかったので、「あげてもいいかな」と思い軽い気持ちで渡した。後にモヤモヤ引きずる出来事になった。
「meruci merci!
(メルシー、メルシー!)」※ありがとう
と、私の姿が見えなくなるまで叫んでいた。日本にも「ホームレス」がいる。しかし、日本のホームレスに私は物乞いをされたことはなかった。この華やかな憧れのパリでまさかこんな辛い気持ちになるとは思わなかった。
良いことなのか悪いことなのか、いまだに判断がつかない。今の自分であれば渡さなかったかもしれない。
しかし、老婆のその日暮らしの一役にはなっただろう。
他人から物を奪うことが当たり前。
他人から物を乞い得ることが当たり前。
この「当たり前」のなかにいると他人から「盗むのは悪いことだ」「物を乞うなどしてはいけない」と指摘されても何が悪いのかサッパリわからないだろう。
以前働いていた職場で大変迷惑なパートさんがいた。その人の対応にはほとほと困ったもので、何でも「他人がして当たり前」「自分は親切にされて当たり前」といったとんでもモンスターおばさんだった。とにかく他人への恨み辛みが多く、自分が注意や指摘を受けたり思いどおりにならなかった相手のことを何年も何年も悪口を言い続け言い広め、恨みを募らせる。
私はこのパートさんと折り合いがかなり悪かった。ある日、このパートさんの5歳になる息子が店に来た。来た早々にこちらに一生懸命駆け寄るので挨拶でもしてくれるのかなと思い腰を屈めこ「こんにちは!」と話しかけると、初っぱなに「お金ちょうだい」と言い放った。ゾワッとした。
普段の言動や行動からたしかに子供がこうなるよなと感じた。例えば、正月にお宅にいくからお金ちょうだいね、今年は○○が食べたいからお歳暮よろしく、うちはお金ないから何もできないけどあなたお金あるんだからたのむわよ。そんなことを冗談で面白く話しているのかと思ったら、この人は全て本気だったのだ。日常的に行われていた事にびっくらこいたがまさか子供まで物乞い精神が継承されていたとはさらに驚いたものだ。
かくいう本人は一生懸命いかに自分が綺麗で潔白で他人がいかに自分に対し意地悪で不親切で人間ができていない、といったようなことを常々アピールしていたが、陰では次第に皆も本性を知っていくことになり、なにかしら被害を被っていたので何かあれば噂となって耳に入る。
「え?あなたもそうだったの?じつは私も彼女からね・・・」
最後の方はちょっとでもなにかトラブルがあれば緊急連絡網のように情報共有され、異動した私の耳にまで話題がいつも届くようになった。