フリーランスになって出来なくなってしまったことと見えにくい自分の変化
現在、転勤族の夫と結婚し、新卒から勤めた会社を退職後、フリーランスになりました。
その中で、自分の人生を見つめ直し、自分に何が出来るのか、自分の強みは何なのか、世の中に価値提供出来ることはどんなことかを日々考えながら模索する毎日です。
今日はフリーランスになって日常を過ごす中での、変化について書いてみます。
会社員からフリーランスになっての生活の変化といえば、時間の使い方が変わったりだったり、在宅で働けるようになったり、関わる人を選べる様になったり、自己管理能力が必要になったり、すぐに思いつくのはこの辺だと思います。
よくフリーランスになった人が発信しているのも、この辺の内容が多いな~という印象があります。
また、フリーランスになりたい人、目指している人に向けての訴求も、時間が自由!とか縛られずに働ける!とか嫌いな人とは関わらなくても良い!みたいなものが多いですよね(ディスってるわけではないです笑)
もちろんわたしも当初はこの辺のよく見えやすい感覚を一番に感じたし、今も思うことはあります。
ただ、この1年ちょっと生活が変わって目には見えにくいし、結構気づきにくい部分ではあるけど、自分の変化に気づくことがいくつかあるので、わかりにく~い、でも大事だよねっていう変化を今日は書いてみようと思います。
フリーランスになって思考力がなくなってしまった
最近すごく感じるようになったのが、思考ができなくなっているということ。
これだけ聞くと、え??フリーランスって自分で考えて道を切り開いていくしかない!みたいなことをいつも書いているのに、何言ってるの?と思われるかもしれません。
が、まさにそれなんですよ!!
フリーランスになって、尋常じゃないくらい日常で思考を使うことになります。
自分の方向性だったり、キャリアプランだったり、セルフブランディングだったり、この辺を考えることはもちろんのこと、毎日何かしら仕事をしてお金を稼がないと生きていけない人生なので、頭を常にフル回転で走っていく必要があります。
業務委託やクライアントワークの仕事を獲得していくためにも、自分の強みはなにか、どのようにしたら自分の強みを出しながら働けるか、一緒に働く企業さんにとってメリットとなる存在になって継続して仕事をもらえるか、日々これを考えながら働きます。
また、自分の商品やサービスを作っていくとなると、これよりも更に深く思考を働かせないといけません。
どんな人に何を届けたいのか、自分は何を価値提供出来るのか、どうしたらお金を払ってもらえるのか、スムーズに運用するにはどのような方法があるのか、考えること調べることは山のようにあります。
既に商品やサービスを持っている人でも、言ってしまえば会社の社長でもきっと常に思考をフル回転している状態は同じだと思います。
安定とは無縁の世界にいるので、今うまく行っていたとしても来年は大丈夫か5年後は大丈夫か10年後はどうなっているのか、それに合わせて変化するためには考えて行動していくしかありません。
結局いつもと言っていることと同じになってきていますが、要は日常(仕事)にとてつもなく思考が取られてしまうんです。
そういう日常をおくっていると、今まで仕事以外のプライベートの時間に使っていたはずの思考の余力がなくなってしまうのです。
思考のリソースは限られている
人間面白いもので、自分の使える思考のリソースって限られているんですよね!!
スティーブ・ジョブズが、日々の選択の回数を減らすために毎日同じ服を着ていたというのは有名な話ですが、本当にめちゃくちゃ分かる!!と思います(ジョブズと自分を重ねておこがましすぎるけど本当に分かる笑)
わたしは今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなったり、億劫になったりということが最近増えたなと思います。
例えば、わたしは料理をすることが好きで、毎日献立を考えて夕飯を作ることは自分にとってはそこまで億劫ではなかったし好きなことの一つだったのですが、今は献立を考えるのもそれに必要なものを考えて買い物にいくのも億劫に思うようになってきました。
他にも、読書も好きで年間100冊以上本を読むのですが、最近本が読めなくなってきました。疲れていても小説やエッセイは読める!みたいな話をよく聞くのですが、わたしは全く逆でビジネス書とか自己啓発本のほうが今は読めます。これはきっと今やっている仕事の延長線上にあるからだと思います。
逆に、少し余白の多い小説とか、抽象度の高い物語性のある小説で、読者に考える余地を与えている感じの小説は全然読めなくなってしまいました(村上春樹さんとか)
余白を考えるということで言うと、わたしは幼少期からピアノをやっているのですが、ピアノの楽譜を読む譜読みという作業は難なく出来るのですが、そこから曲を創り上げていく段階になると、急に練習がはかどらなくなります。
譜読みはどちらかというと機械的に身体に落とし込むことが出来るのですが、作曲者の意図や時代背景や曲のイメージをふくらませるといった作業は、実は思考をものすごく使っているらしく、既に日常の中で思考のリソースを使い果たしている状態だとこれが上手くいかなくなります。
一気に全部出来なくなったというよりかは、徐々にじわじわという感じでやってくるのと、自分の忙しさにもよってきたり、新しいことをやればやるほど使う思考のリソースは取られていくので、フリーランスになったら日常が全然回らなくなる!という意味ではないです。
ただ、会社員のときの残業続きで本当に忙しくてしんどいな~と思ったときの感覚と少し違ってはいます。その時は体力的に疲労が溜まるとか、睡眠不足の状態で頭が回らないという感じで、考えること自体がが億劫という感覚は無かったなと思います。
会社員のときは、自分なりにめちゃくちゃ考えてやっていたつもりではいましたが、考える深さと質が全然今とは違う!
どれだけ考えたとしても自分がプライベートを平和に生きるための思考のリソースは残っていたんだ!と今になって思います。
不安と集中力の相性の悪さ
ここまで思考のリソースは限られていて、仕事に思考が多く取られてしまうという話をしてきましたが、実はもう一つ気になっていることがあります。
それは、やっぱりどこまでいっても不安ということ。
先ほど、フリーランスも会社の社長も常に考え続けていかないといけない、安定とは無縁の世界にいると言いましたが、その世界の中にいるとやはりどうしても付きまとうのが不安という感情。
この感情はすごく分かりやすいと思っていましたが、結局自分が認知できる不安の感情ってそれが強く表面に出た時だと思うんですよね。
例えば、大切なプレゼンがあって上手くいくかどうか不安だなとか、今期の予算に届くかどうか不安だなとか、感情として不安だと自分が認識出来るくらい表面に出てきてくれればまだいいのですよ。
わたしが思うのは、表面には出てこない不安。
実はわたし不安に思ってたんだなと行動や経験から気づく不安です。
これも自分自身の経験談になってしまうのですが、わたしはどちらかと言うと集中力がすごく長く続く方で、一度集中すると何時間でも時間を忘れて続けてしまうタイプです。
先ほど例に出したピアノですが、わたしは練習を始めると集中して何時間もたっていることがよくあったのですが、今はそれが徐々に出来なくなってきています。
不安と集中力はものすごく相性が悪いなと思っていて、色々なことが頭の中にある状態は常に集中を阻害してきます。
これがプレゼンの前とか、予算会議の前とかであればまだ分かるのですが、特に自分が今不安要素となるようなことが思いつかなくても、なんなら上手くいってるんじゃない?くらいに思っているときでも、なんとなく集中が出来なかったりするのは、どこか奥の方に不安の要素があるからなのだろうなと思います。
これがそもそものフリーランスという仕事の安定のしなさに起因しているのか、フリーランスでもある一定程度のところに到達すれば不安要素もなくなるものなのか、自分の進む未知や目指すべきところが明確に決められた時になくなるのか、まだ未知の世界です。
放っておいたら気づきにくい変化や、見逃してしまいそうな心の変化って、なかなか言葉にするには難しいし、言葉にすると結構大きな変化のように思えてしまいますが(実際これを書いていてものすごい変化に見えてきた)、自分の生活には大打撃にはなっていないけど、ちょっとずつストレスみたいな感覚があります。
これをどう乗り越えて、快適な暮らしにしていくのか今後も色々と考えることになりそうです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
シンバ🦁