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持病を「言い訳」と呼ばれてしまうのに、「持病があるから仕方ない」私たち


「持病があるからって、甘えるな」

「病気が病気がって言い訳して、何かのせいにしてばっかり」

ネットで病気の人が弱音を吐いているところでよく目にする言葉だ。ていうか私もこんな風に叩かれた。リアルでも言われたことがある。

そして、結婚や就職といった場面で必ず病気という問題は立ち塞がってくる。

病気の人は働けないだろうとか。

病気の人と子供を結婚させたくないだとか。

そういう時に相談した人や、拒絶した本人。その他とりあえず誰かに必ず言われる言葉がある。

「病気なんだから、仕方ないじゃん」

それ、おかしくない?



私は12歳で潰瘍性大腸炎を発症した。

潰瘍性大腸炎は国で難病指定されている病気で、いわゆる不治の病ってやつ。

症状は簡単に書くと下痢、腹痛、血便など。

腹痛って書くとそうでもないように思えるけど、潰瘍性大腸炎の腹痛はなんか「お腹痛いなー」レベルの痛さではない。この腹痛は大腸に穴が開いたり、抉れたりとかそういうことで起きる痛みだ。

あと社会人になってから、1番怖かったのは所構わず襲ってくる下痢。私はこの病気になっていかに人間と肛門が無力かを知った。まじで。快速電車にうっかり乗った時なんかは社会的な死を覚悟する。まじで冗談ではなく。

潰瘍性大腸炎の症状や体験とかはいつか機会があれば詳しく書きたいと思う。

12歳で潰瘍性大腸炎―――難病患者になったが、退院後の日常生活でドラマみたいに特に変わったことはなかった。

潰瘍性大腸炎は腹痛や下痢といった症状が出る「活動期」と症状の出ない「寛解期」を繰り返す病気。活動期には症状を抑え、寛解期をなるべく延ばす。それが潰瘍性大腸炎の治療の基本の流れだ。

寛解期は、本当にフツーに生活を送れる。

月一回の通院と朝晩薬を飲むだけ。学校もきちんと行ったし、体育も別に制限はなく普通に出た。食事も症状が落ち着いている時は制限なし。寿司もステーキも唐揚げも食べたし、大人になってからはフツーに酒も飲んだ。辛いものは嫌いだから食べないけど。夜更かしもするし、夜勤をしていた時期もある。誰も私が難病患者なんて気づかなかった。

長くコントロールできた方というのもあるが、私の場合は初回の発症から次の再燃(活動期に入ること)まで実に7年もの時間が空いた。

つまり7年もの間、私は難病患者でありながら「フツーの人」だった。

私がラッキーだったのかもしれない、というのは否定できない。ただ、こういうと驚かれるのだが「難病患者なのにフツーに働いて生活している人」というのは意外に多い。

疾病別に、一般の就業率に対する比で就業率をみたところ、障害者手帳のない場合、原発性免疫 不全症候群、もやもや病、潰瘍性大腸炎、クローン病、再生不良性貧血では、同じ性・年齢の人た ちの就業率と変わりがないか 90%以上となっていました。
(中略)
このように、疾病による違いはあるものの、軽症者であれば、同じ性・年齢の人たちと比べてあ まり変わらない割合か、やや低い程度の割合で働いていることが分かります。

2018年、障害者職業生活センターが発行した「難病のある人の雇用管理マニュアル」より引用。

病気にもよるが、ほとんどの人は難病患者でありながら普通に働き、生活している。

難病患者で働いている人なんて知らないよーっていう人もいるかもしれない。ただ、いないとは思わないで欲しい。私は職場でもプライベートでも、本当に親しい人にしか持病のことは話さない。何人か難病の友人がいるが、その人たちも職場に大っぴらに持病のことは話していない。私は聞いたことがないからそんな人はいない、という考えは捨てるべきだ。

持病はあるものの、いつ再発するかもわからない病気のために長い間休んだり時短勤務をするつもりはない。お金もない。ので、私は8時間×週5日勤務で働いている。普通に働けるものの、風邪や生理の体調不良が重なって再燃気味になることもある。よっぽど放置しなければ、すぐに症状を抑えることができるけど。

昔こんなことがあった。

残業とセクハラパワハラ上等の会社にいた時、結構友人に愚痴を聞いてもらっていた。彼女は私の会社のブラックっぷりを聞くたびに「うわークソブラックじゃんその会社」と言っていたが、私が残業多すぎて持病が再発しかけてきた、というと真顔でこう言った。

「みんなそれくらい働いているのに、病気を言い訳にしないでよ」

いやいや、言い訳じゃなくて。

普通に働いてはいるけど、持病を持ってない人より体調が悪くなったときの転げ落ち方がすごいんだよ。薬でコントロールはできるけど、当然増やした分の薬代はかかるし、腹痛も下痢も辛いのは言い訳ではなく事実。

彼女だけではないのだが、どういうわけか持病があると話すと「病気を言い訳に」「甘え」というワードが出てくるようになる。

そのうち私に結婚の話が出た。

だが彼氏の親は私が持病を持っていると聞くと「別れて欲しい」と彼氏に言った。フルタイムで普通に働いていると知っているのにも関わらず。

そして友人も、私の親も、ネットで相談した人もほとんど同じ言葉を言った。

「病気なんだから、仕方ないじゃん」


病気なんだから仕方ない、というワードは私が人生の中で何か諦めるときに必ず出てきたワードだ。

就職や進学や、今回のような結婚の話。

言い分はわかる。そりゃ誰だって可愛い子供が病気持ってる人と一緒になって一生養ったり介護して暮らすとなれば反対するだろう。

でも、私は、多くの「難病患者ではあるが普通に働いている人」は違う。

持病のない人よりはもちろんリスクが高い。けど適切な治療を受けていれば働いて、普通の生活を送ることができる。同じ難病患者といっても病気によるだろうが、少なくとも潰瘍性大腸炎は寛解期であれば妊娠出産に支障はない。

「普通の人」だっていつ病気に侵されたり分からないし、事故に遭うことだってあるかもしれない。

「普通の人」とそんなに違うだろうかと正直思う。そしてそういうと、大体は「だって病気じゃん!」と言われる。ネットだと叩かれる。

寝たきりなわけじゃない。

人並みに働いている。

納税もしている。

言われるほど違うんだろうか。まるで犯罪者みたいな扱いだな、と思うときもある。

仕事を自分の体調のためにセーブしようと思えば「甘え」だと言って非難される。

矛盾している。

病気だから仕方ないなどと言うのなら、そういった「甘え」は非難されない社会であるべきではないのか。

逆にいうと「甘え」という非難が許されているのなら、「病気だから仕方ない」と外野がそれこそ病気を理由にして何かを強制するのは間違っている。

寝たきりだったら、一生介護が必要なら仕方ないのかもしれない。だけど私たちはそうではない。

今日雨が降ったから休みます、健康や精神に全く問題はないけど難病だから休みます。それなら「甘え」や「言い訳」と呼ばれても仕方ないのかもしれない。けど私たちはそうではない。

こんな矛盾が発生するのは「甘え」と呼ばれる人物像と、「病気だから仕方ない」といわれるほどの重病患者。二つの両極端な患者像にあるように思う。

重病患者と健康な人との狭間にある、私たち「働ける難病患者」は世間から見落とされ続けているのではないか。

難病患者への差別や偏見は、人種差別や障害者差別よりは話題に上りにくい。

ちょっとした風邪や病気程度なら誰もが通るし、高齢になればほとんどの人が病気になって死んでいく。そういった意味での「病気」はある意味なじみ深いからだ。馴染みがあるものに差別は生まれにくい。

だが、寝たきりにならない程度に、しかし元気なわけでもなくずっと治らない「病気」―――難病は、なじみがないのだ。

なじみ深いが、なじみがないもの。この落とし穴のような場所にいる「難病患者」は、見落とされやすく、差別されやすい。

上記の記事はタイトルの表現は柔らかいものの、実際の難病患者のコメントを見ると差別や偏見と言っていいのではないか。

「キャッスルマンというアメリカの学者が発表した病名だから、キャッスルマン病なんですが、病名を言っても、何ふざけたこと言ってるの? そんな病気あるわけないでしょ!と言われました。」
「難病という言葉の持つ暗いイメージですね、感染するんじゃないか? とか。難病が感染すると、いまだに思っている方もいるようです。」

いろんな差別や偏見に言えるのだが、大半は「無知と無理解」から偏見は生まれると思う。偏見をなくすためには、まず偏見を表面化し問題視されることが必要だが、なかなか問題は表面化しない。

理由はひとつではないのだろうが、私は偏見を持たれている側が被害者であるという認識をしていないことが表面化しない一因だと思う。

よく似た構図なのが、近年のme too運動やフラワーデモから始まった女性蔑視や性暴力に関する議論だ。


痴漢などの性暴力や女性蔑視は昔から存在していたが、女性側は「それが当たり前」であって声を上げられなかった。me too運動で「あ、私が受けたこんなことって、怒ってよかったんだ」という気付いた女性も多いと思う。

me too運動がここまで広がったのは、啓蒙家の活動や、それによって声を上げて良いんだと気づいた女性がたくさんの「告発」をした功績が大きい。

私がこのme too運動で1番よかったと思えたのは、「多くの議論を呼んだ」ことそのものだ。

今まで「なかったこと」「見落とされていたもの」がこの運動によって可視化された。

「多くの議論を呼んだ」ことで「こういうことを問題視している人たちがいるらしい」と世間一般に知らしめることができた。

議論するためには知識がいる。知識を得れば得るほど、「無知と無理解」からは離れていく。

me too運動からのこの一連の動きはまだまだ解決とはいかないが、たしかに理解者や味方を増やし続けている。

対して、「難病」はどうか。

「難病」などでTwitterを検索すると偏見や差別を受けた、という報告自体はあるものの、抗議や議論のツイートは驚くほど少ない。

そして、痴漢やme too運動系のツイートと比べて明らかに少ないのは「これ、おかしくない?」という当事者からの問題提起だ。

難病患者に対する「甘え」といった偏見に対する私の意見はすでに述べた通りだが、本当に私が「やばくない?」と思ったのは、難病患者への差別や偏見を問題視する声や、それに伴う議論があまりにも少ないことだ。

私が上で話したように、持病があるというとすぐに甘えや言い訳と取られ抑圧されてしまう。また言われてしまった、という言葉は出てきても抗議するほどの気力もない。私と同じ病気である安倍首相の病気への中傷を見ても、まるで犯罪者みたいな扱いだなと思う。こんな言葉を当たり前のように受けていたら、誰だって反抗する気力もなくなる。

me too運動が巻き起こる前の女性の立場と同じだ。「怒っていいんだ」と気付けない。気付いても抗議することを社会が許してくれない。抗議した瞬間、お馴染みの「甘え」「言い訳」といったフレーズが飛んでくるのだから。

このnoteを書くこと、つまり声を上げること自体、私もすごく悩んだ。

でも、こういった声があって、「こういうのはおかしい」と言える人が増えるのなら、書くべきだと思った。

そういう人が増えれば、me too運動のように議論になるはずだ。議論になるだけで価値が有る。

そしていつか、難病患者にとって1人でも多くの理解者が増えますように。


※追記とお願い

このnoteを読んだ人で、もし少しでも共感いただけたなら、お願いしたいことがあります。

議論をしてください。

難病の方は自分の体験や思いを伝え、もし今まで嫌なことを言われたり、おかしいと思ったのならそれを元に議論をしてください。難しいのなら、そっとこのnoteをツイートするだけでもいいと思います。

難病でない方も、もし出来るのであればこの問題を議論して欲しいです。

あなたやあなたの大切な人が難病にならないとも限りません。もしそうなったときに、少しでも生きやすい未来になるように。

とにかく、この状況に疑問符を持っている人がいる、というのは知られるべきだと思います。




(国の指定難病は2020年現在、333もの数の疾病があり症状や重症度、QOLは病気、また同じ病気でも個人によって大きく異なります)




最後まで読んでいただき、ありがとうございました!





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