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「シネマティック・サウンド」とは何か? その方向性を決定づけた巨匠ハンス・ジマーの音楽から紐解く

この記事は、ソニー・ミュージックエンタテインメントが運営していた音楽制作プラットフォームSoundmainに掲載された記事を、当該サイトのサービス終了に伴い、若干の修正をした上で転載したものです。「シネマティック・サウンド」をテーマにしたサンプルパックのリリースを受け、大きな影響を与えたハンス・ジマーの映画音楽を解説する記事になっています。
初出:2022/04/22

他の音楽ジャンルと違い、シネマティック・サウンドを一言で説明するのは困難です。映画の音は、セリフ、音楽、効果音の3つによって成り立っていますが、この言葉を聞いて、音楽と効果音の2つを、あるいは音楽のみを想定する人もいるでしょう。実際、作品全体の音響デザインについて言及する事例もあれば、映画の劇伴やなんらかの映画的な音楽を指すこともあります。サウンドパックなどでシネマティック・サウンド、シネマティック音源と言うときは、ほとんどが後者だと思います。

その場合も、思い浮かべる映画音楽、映画的な音楽はさまざまです。『スター・ウォーズ』シリーズで流れるオーケストラ、ディズニー映画のBGMや主題歌、近年のスーパーヒーロー映画を彩る勇ましい音楽。ミニマルな実験音楽が頭に浮かぶ人もいるかもしれません。しかし現在、映画音楽のイメージを強く形作っているのは、ハンス・ジマーの音楽ではないでしょうか。

シネマティック・サウンド=ハンス・ジマー的な音楽という印象はどこからくるのか。まずはその経歴と共に見ていきましょう。


ハンス・ジマーという作曲家

ハンス・ジマーは1957年ドイツ生まれの作曲家です。10代でロンドンに移住すると、ロックバンド、バグルスなどの活動にキーボード、シンセサイザー奏者として関わっています。80年代に映画音楽について学び、その後渡米。1988年の映画『レインマン』で、アカデミー賞に初めてノミネートされ注目を集めます。それから、『グラディエーター』(2000)、『インセプション』(2010)、『インターステラー』(2014)など、錚々たる映画の音楽でアカデミー賞にノミネート。『ライオン・キング』(1994)と『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021)でアカデミー作曲賞を受賞しました。

ジマーは映画音楽会社リモート・コントロール・プロダクション(旧メディア・ヴェンチャーズ)を主宰していることでも有名です。ミュージシャンと音響技術者の大集団と共に音楽制作を行い、『ザ・ロック』(1996)や『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズをはじめ数々のヒット作に曲を提供し、ハリウッドで成功を収めてきました。

リモート・コントロールは、何人もの後進の作曲家を輩出してきました。マーベル映画『アイアンマン』(2008)や『エターナルズ』(2021)、社会現象を巻き起こしたドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』を手がけたラミン・ジャヴァディも門下生の一人です。元々ポップ・ミュージック畑で活躍していたジャンキーXLは、ジマーおよびリモート・コントロールと共に制作し、映画音楽の世界に進出しています。また、映画のみならず、ハリー・グレッグソン=ウィリアムズは、日本発の大ヒットゲーム『メタルギアソリッド』シリーズを手がけたことで有名です。

ジマーとリモート・コントロールは、集団制作によって、映画やドラマ、人気FPSシリーズ『コール・オブ・デューティ』といったゲームなども含め、膨大な数の作品に関わり、自分たちの音楽を浸透させてきました。とりわけ2010年代以降は、絶大な影響力を持つに至ります。この状況自体がシネマティック・サウンド=ジマーのイメージを強めているとも言えるでしょう。

クリストファー・ノーランとのコラボレーション

その中でも、特に決定的な影響を与えたのが、クリストファー・ノーラン監督とタッグを組み、いくつもの実験的な演出を行った作品です。

多層的な夢と現実の境目、深層心理を描いた2010年の映画『インセプション』では、名曲とされる「Time」などが生まれましたが、その予告編も大きな話題になりました。予告映像では、リズミカルな弦楽器の音が聞こえてきたあと、突如ブーン、ブーンという大音量のブラスが鳴らされます。これは「インセプション・ホーン」や「BRAAAM」とも呼ばれ、ジマー関連作以外の予告でも多用されました(註1)。この不安や興奮を煽るブラスの音を聞くだけで、映画館に来た実感が湧く人もいるかと思います。こうした重い低音はジマー音楽の特色の一つと言えます。

バットマンシリーズ最高傑作と評され、現在まで続く実写ヒーロー映画ブームを決定づけた『ダークナイト』(2008)では、ミニマルで重厚な音楽が、作品の陰鬱な世界観に寄与しました。歴史的な映画音楽や作曲家に光を当てたドキュメンタリー映画『すばらしき映画音楽たち』(2016)は、ジマーを革命的とした上で、この作品を取り上げ解説しています。

同作は、ジマーの映画音楽の特徴をロックのような激しさにあるとしています。弦楽器をギターのように使いリズムを刻ませること、弦楽器の短いフレーズの反復がジマーの定番です。絶え間ないビートが響いていることにも言及していますが、そうしたパーカッシヴなサウンドが、ジマーらしい音を作る要素だと言えます。

また、『ダークナイト』やノーランと初めて組んだ『バットマン ビギンズ』(2005)の革新性についてよく指摘されるのが、オーケストラと電子音楽を融合させ、その境目を消したことです。ジマーとノーランは、「バットマンの従来のモチーフや、伝統的なオーケストラスタイルで書かれた音楽から、どう逸脱するか」を長い時間をかけて話し合ったそうです(註2)。それ以降の作品でも、オーケストラにシンセを混ぜることで厚みを増したサウンドが鳴り響いています。

なお、『すばらしき映画音楽たち』でジマーの次に紹介されるのが、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーとアッティカス・ロスです。2人は、ノイズなどの実験的な手法を用いた『ソーシャル・ネットワーク』(2010)で、アカデミー作曲賞を受賞しています。

共にエレクトロ・サウンドを積極的に導入した点において、ジマーとレズナー&ロスは共通点がありますが、わかりやすい違いを挙げるならば、オーケストラの有無でしょうか。ドキュメンタリーでも、後半にジマーが登場し、「オーケストラが消滅すれば、文化に大きな亀裂が入ることになるだろう」と答えています。

伝統的なオーケストラから逸脱しながらも、オーケストラ自体にはこだわる姿勢。オーケストラの壮大さや音の厚みがありながらもミニマルである、というのがジマーのサウンドの特徴と言えます。

ジマーの音楽が生まれるプロセス

では、こうした楽曲はどのように作られるのでしょうか。ジマーは​​Steinbergのインタビューで、Cubaseや独自のシステムで構築されたサンプラーの使用について、94年から始めたオーケストラ奏者のサンプリングについても答えています(註3)。ここから読み取れるのは、サンプリングへの並々ならぬこだわりです。

ジマーは、共同創業者をつとめたUJAM社がリリースするプラグイン、「DRUMS」や「STRIIIINGS」をリモート・コントロール・スタジオで録音したほか、Spitfire Audio社の​​ハンス・ジマー・シリーズを監修しています。そのシリーズの1つ、「HANS ZIMMER STRINGS」の制作に際し、ジマーは「現実では不可能なサウンドを創り出すことが、サンプリングの真のマジック」だと言います(註4)。実際このソフトウェア音源は、344名もの奏者による多数の奏法をサンプリングしており、圧倒的なスケールを誇ります。こうした音源の存在も、シネマティック・サウンドとジマーの音楽を結びつける一因にもなっています。

冒頭では、リモート・コントロールでの集団制作についても少し触れました。具体的には、「音の素材を作る人が何人か集まり、チームとなって作曲をしていきます。その音素材をまとめていく」のがジマーだそうです(註5)。

また、クリストファー・ノーラン監督の映画では、監督自身も音楽制作のプロセスに積極的に関わってきます。作曲家の戸田信子は、『ダークナイト』冒頭のシーンのためにジマーが作った曲とその工程について、次のように説明しています。

「カミソリやピアノ線、古いシンセサイザーなどの様々な楽器やものを使い9000小節にもなる『ジョーカーの音』を収録〔……〕。その中からノーランが選んだミニマムなモチーフを、ジマーが最新鋭の音響技術と〔……〕優秀なサウンドエンジニア、そして大編成のオーケストラを結集させて〔……〕昇華させていく」(註6)

このように複雑な過程を経て制作された「Why So Serious?」は、弦楽器の2音を中心にしたミニマルな構成とカミソリの刃を用いたことで、冒頭の銀行強盗シーンの不穏さと緊張感を適格に表現しています。まさにジョーカーのテーマに相応しく、非常に高い評価を得ました。

他ジャンルに広がる「シネマティック・サウンド」

これまで、シネマティック・サウンド=ジマーの映画音楽というイメージがいかにして形成されてきたか、作品の特徴や制作方法と共に説明してきました。最後に、ジマーの影響は、映画やドラマ、ゲームといった映像メディアに留まらないことにも触れたいと思います。

ジマーの映画音楽は、ポップ・ミュージックやクラブ・ミュージックでも使用されてきました。たとえば『インセプション』の「Time」は、ロジックをはじめさまざまなラッパー、DJの音源でサンプリングされています。また、この曲については、エレクトロ・ハウスのプロデューサー、アラン・ウォーカーが、ハンス・ジマー本人とコラボし、2020年にリミックスを発表したのも記憶に新しいです。現在24歳のアランは、壮大な楽曲が特徴で、「Faded (Restrung)」(2016)はまさにシネマティックな曲になっています。Mikikiのインタビューで、アランはジマーについて「メロディと哀愁を帯びたサウンドからは、大いに影響を受けている」と答えています(註7)。

ジマーとリモート・コントロールは、これからも多くの大作映画やゲーム作品に関わっていくはずです。それに伴い、ジマーの影響を受けたシネマティック・サウンドのサンプルもますます増えていくと思います。こうした音源が活用されることで、映像作品だけでなく、ダンス・ミュージックのシーンでも、シンフォニックかつミニマルな楽曲が増えていくのではないでしょうか。


1)Adrian Daub.(2016) ““BRAAAM!”: The Sound that Invaded the Hollywood Soundtrack”, Longreads.
https://longreads.com/2016/12/08/braaam-inception-hollywood-soundtracks/

2)戸田信子(2021)「映画音響でノーランが見出そうとしている映画の未来」『クリストファー・ノーラン 映画の奇術師』河出書房新社、143頁。

3)Steinberg(2019)「Hans Zimmer: 世界最高峰の映画音楽家と Cubase | Steinberg Spotlights」
https://www.youtube.com/watch?v=14lF6hfbyhc

4)Spitfire Audio “Hans Zimmer Strings”
https://www.spitfireaudio.com/shop/a-z/hans-zimmer-strings/

5)ムビッチ(2017)「『よくこんな素晴らしいインタビューを引き出せたな!!』樋口真嗣監督絶賛!? 映画『すばらしき映画音楽たち』特別先行上映トークイベント」
https://moviche.com/contents/news/41234/

6)戸田、144頁。

7)Mikiki(2020)「​​アラン・ウォーカー(Alan Walker) 、憧れの巨匠ハンス・ジマーとのコラボ作『Time』を興奮交じりに語る!」
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/26203

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