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手渡しの野菜がひらく関係──出雲のファーマーズマーケット「Sunday Market CiBO」に込められた思い

農家さんが、自分の作った野菜を自分の手で販売できる場所をつくりたい。そんな思いから、島根県出雲市でファーマーズマーケット「Sunday Market CiBO」を始めた青野司さん。アメリカでスノーボードに明け暮れた日々から、地元で農家に転身し、野菜を通して人と人のつながりをつくる青野さんのキャリアを聞いた。
(聞き手:西嶋一泰、文:舟山宏輝)

青野 司(あおの・つかさ)
1984年、島根県出雲市斐川町生まれ。専門学校卒業後にスノーボードのプロを目指して、冬はカナダやアメリカで滑り、夏は日本で働くという生活を送ってきた。在米中にファーマーズマーケットに出会い、食と農の魅力に惹かれて4年前に出雲市へ戻る。現在は、農家として大国山のふもとに広がる畑「GOOD LIFE FARM」を運営。また、5人の仲間とともにファーマーズマーケット「Sunday Market CiBO」を展開し、地元の生産者と消費者がつながる場づくりをおこなっている。

海外に出て変わった、生活の感性

4年前に島根に戻ってきたという青野さん。それまでの経歴はどのようなものだったのか。

「スノーボードを始めたのは、高校を卒業して専門学校に入学したころです。やっているうちにどんどんハマっていって、プロになりたいという気持ちが芽生え始めました。平日は学校に通って、休日はスノーボードをやるために海外に出るという生活でした。海外に出たのは、島根の外に出たかったという気持ちもありました。

卒業してからも、やっぱりスノーボードが好きで、夏にお金を貯めて、冬になるとカナダに行く。25歳のころには学生ビザを取得して、本格的にアメリカへ渡りました。そこで5年半ほど過ごし、妻と結婚して子どもが生まれたタイミングでやっと地元に戻ることを決めました。出雲で農家をやろうと思ったのです。」

十代の頃には「絶対に島根から出たい」と考えていたという。出雲に戻ろうと決めた心境の変化は、どのようなものだったのか。

「アメリカに住んだからこそ、戻りたいと思えたんですよね。自分の生まれ育った場所であり、そこにルーツがあるんじゃないかって。海外から日本や島根、出雲をみてみると、これまで気づいていなかった地域の自然や、暮らしている人々の魅力にも気づきます。

あちこち行ったことで、場所を問わない普遍的な価値を感じられるようになったということもあります。アメリカでは、道端ですれ違ったおじいちゃんと話したり、カフェで隣の席の人と会話が弾んだり。小さくても毎日幸せなことがたくさんありました。

もちろん、それは日本に帰ってきても変わりません。出雲の美しい風景を眺めながら、友人と他愛もない会話をする、喫茶店で隣のおばちゃんとお喋りする。結局、そういう小さな幸福を感じられるかは自分次第なんです。場所は関係ないなって。」

自分がつくった野菜を、自分の手で売る

出雲に戻った青野さんは、農家としてのキャリアをスタートする。どんな思いでスノーボーダーから農家へと転身したのだろうか。

「アメリカではスノーボードの傍ら、生活のためにレストランで働いていました。キッチン担当として人前で料理をするようになったとき、おいしい料理をつくってお客さんに食べてもらい、幸せを感じてもらうという仕事にとても魅力を感じました。スノーボードは自分の幸せのためにやっていましたが、料理は誰かの幸せのためにやっている。そんなことに気がついたのです。

さらに、料理に必要な野菜をファーマーズマーケットに買いに行くと、農家の方と直接お話できますよね。そのとき、「自分で野菜をつくって、食べていただく」というビジネスに憧れを抱きました。これからの人生では、自分が幸せになるだけではなくて、自分のやったことに触れる人にも幸せになってほしい。そう考えるようになって、農家になろうと決めました。」

青野さんは実家も農家ではなく、自身も農業の経験はなかったという。

「出雲に帰ってきたとき、種蒔きの仕方も、野菜の育て方も知りませんでした。最初の1年は農家さんのもとで研修を受けさせていただいき、そこで知識や技術がゼロからイチになりました。それから自分で土地を探して、いまの畑で農業をはじめたのです。」

青野さんの畑

「農家としての僕のコンセプトは「食卓」です。自分のつくった野菜が食卓に並ぶ姿を浮かべて、「こんな野菜があったら、おいしいだろうな、会話が弾むだろうな」と考えをめぐらせながら農業に取り組んでいます。

それから、ただ買ってもらうだけではなく、自分の気持ちを伝えたい。そこで、コーヒー屋さんの軒先を借りて販売したり、飲食店のシェフに使ってもらったりと、自分の作った野菜を自分の手で渡すという販売方法にこだわりました。どこかに卸したり、誰かに変わりに売ってもらったりするのは違うかなって。」

ファーマーズマーケットで「家族」を広げる

野菜を直接手渡しするという青野さんの販売方法は、少しずつ周囲にも広がっていく。

「僕が農業を始めるきっかけは、アメリカのファーマーズマーケットでの経験にあります。自分の野菜を売り、表現するのにうってつけの場所は、やっぱりファーマーズマーケットだろうと思っていました。そこで仲間と開催したのが「Sunday Market CiBO」(チーボ)です。チーボは、これまでやってきた野菜の直接販売が広がっていったことで実現できた、僕にとって一番大事な場所ですね。

Sunday Market CiBO 会場の様子

ファーマーズマーケットで一番大切なのは、やっぱりコミュニケーションです。参加してくださるお客さんや農家さん、飲食店さんとどんなふうにお話するかいつも意識しています。アメリカでは、農家さんから知らない野菜の食べ方や、いつもの野菜の新しい食べ方を教わりました。そんなとき、人生が少し豊かになったような気がしました。チーボも、そういう出来事の生まれる場になったらいいですよね。」

アメリカで経験したファーマーズマーケットの魅力。チーボでは、いまどんなコミュニケーションが生まれているのだろうか。

「僕たちが教えるだけではなくて、お客さんから「こうやって食べたよ」、「こんなふうに調理したらおいしかったよ」といったように、食べ方を教えてもらえるようになってきました。ひとつひとつのコミュニケーションから、コミュニティが生まれていく喜びを実感できました。

この前はいつもと違う会場で開催したのですが、場所が変わっても以前から来てくれているお客さんがやってきて、普段と同じように会話ができました。これもまた、コミュニティの価値を感じる瞬間ですよね。

それから、SNSをつかって農家さんの情報を発信したり、チーボの開催を告知したりもしています。店頭の会話だけでは伝えきれない部分を、僕たちが農家さんの畑に行って「こんなふうに野菜が育っていますよ」と発信する。こういうコミュニケーションも、お客さんとの距離を近づける工夫かなと思います。」

農家さんから手渡される野菜

青野さんのコミュニケーションへの情熱には、どのような背景があるのだろうか。

「やはりアメリカでの経験が大きいですね。さまざまな人種や境遇、性格の人たちがいて、時間や気持ちを共有しながら暮らしている。そんな多様な人々が「家族(ファミリー)」と呼ばれていました。

たとえば、ある家族が週末に集まってバーベーキューをして幸せそうに過ごしている。その人たちは、誰かがやってきたら、自然と会話のなかに受け入れるのです。僕自身、そうして何度も仲間に入れてもらって、「家族」になることができたのです。

それから、こんなこともありました。子どもが生まれたばかりの頃にカフェでコーヒーを飲んでいたら、遠くから知らない黒人のおばちゃんが歩いてくる。そして、大きい声で「赤ちゃんかわいいわね! 抱っこさせてちょうだい!」なんて話しかけてきて、子どもを抱っこさせてあげると「本当にかわいいわね、ありがとう」と言って帰っていきました。これも「家族」が広がった例だと思います。

人間には垣根がありません。僕たちはお互い人間なんだから、知らない人でも会話して、感動することがあったら伝える、それでいいんじゃないかと思います。アメリカから出雲に戻ったときも、異なる人を受け入れ、「家族」になることができれば、きっと大丈夫だと信じていました。

野菜をつくっていれば、誰かが来て食べてくれて、時間を共有できる。そんな「家族」というサークルを広げ、濃くしていく。僕にとって、農業という営みや、チーボという場所は、そのための大切な手段です。」

つくろうと思えば、自分でつくれる

アメリカで感じたことに後押しされながら、精力的に活動を続ける青野さん。さまざまな挑戦にあたって、不安はなかったのだろうか。

「農業は不安だらけでしたよ。いろいろやりたいことはあっても、技術がないからなかなか思ったようにいきませんでした。「1年ぐらい頑張れば、できるようになるんじゃないか」と甘く見ているところもありましたね。

ときどき自分の成長を感じる機会があって、そういう感覚のおかげで続けてくることができました。技術の向上は毎日実感できるものではありません。ただ、自分を振り返って「去年よりよくなったな」と思えることがあるのです。農業は自分がどうしてもやりたかったことです。ずっとゴールだけを見て、諦めずに続けたことで、いまの自分があると思っています。」

最後に、島根での活動にあたって、どんな人が向いているか尋ねた。

「自分でなにかを切り開ける人が向いていると思います。モノが少ない環境なので、それを楽しみながら、新しい環境をつくっていくような感覚があるといいんじゃないかと。多くはないかもしれないけど、仲間も絶対にできますしね。

島根の可能性は、なにもないところです。なにか買う場所も少ないし、買う人も少ない。だからこそ、自分でつくれる。僕がファーマーズマーケットを立ち上げたのも、ほかになかったからです。もし最初からあったら、そこで満足していたかもしれません。誰もやっていないことがたくさんあって、それを自分で切り開いていける。僕にとって、それが島根の魅力ですかね。」

──アメリカでの経験を大切にしながら、どこに行っても変わらない価値を出雲で追求する青野さん。今日も誰かの食卓を思って、自ら拓いた畑を世話する。