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「子どもを育てるんじゃない、大人が育つんだ」──家庭と地域をつなぐ保育士

谷あいに広がる美しい森と農園──島根県東部・雲南市木次町には、自然との共生を目指す地域の方々によってひらかれた「食の杜」がある。

いまこの地では、新しい子育てのあり方が模索されている。瓦葺の古民家から多世代をつなぐ「地域まるごと子育て“縁”」だ。

同施設で働く小村優希さんは、雲南市で生まれ育った。地域の大人に囲まれて過ごした彼女は、子どもたちとともに学ぶ保育士になった。

そんな小村さんに、高校時代から始めた地域活動やそのキャリアへのつながり、家庭と地域を結ぶ子育てについて聞いた。

小村 優希(おむら・ゆうき) 
雲南市出身。コミュニティナースカンパニー株式会社所属。保育士、幼稚園教諭(二種)、国際モンテッソーリ教員。好きなモンテッソーリ教具は、1000の鎖とビーズとカードによる四則計算。小さい時から回覧板を持って行っておやつをもらったり、学校帰りにしそジュースを飲ませてもらったり、時には地域の人に怒られたりもしながら育ちました。地域の方という第三者の方との関わりがあることで、子どもの頃から多様な価値観を知れると思います。


「好きなようにしたらいい」

雲南市で生まれ育った小村さん。小さい頃から周囲には大人たちがいた。

「小さい頃はやんちゃでした。山で秘密基地をつくったり、公民館で缶蹴りをしたり。友達は幼稚園から中学校まで、ほとんど変わらないメンバーと過ごしました。周りには地域のおじいちゃんやおばあちゃん、10歳くらい上のお姉さんやお兄さんもいて、よく一緒に遊んでもらっていた記憶がありますね。」

「高校も地元の三刀屋高校に進みました。将来を強く意識したきっかけは、ある地域の集まりに出たときのことです。近所のおじさんに「好きなようにしたらいい。外に出たっていい。でも、いずれまた戻って来てくれたら、それだけですごく嬉しい」って言われたんですよね。ふとした一言だったけど、自分のなかにストンと落ちました。親でも先生でもない人の言葉だったからかな。

中学生の頃から、都会に出てみたいなって漠然とした思いがありました。でも、その言葉で少し認識が変わったんです。「どこに行くとしても、いつかは雲南に戻ろう」って。こういうおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に過ごしながら生きていきたいと思ったから。

きっかけは高校時代

高校に入ると、小村さんは地域での活動を始める。

「きっかけは、三刀屋高校の近くにある地域の自治組織のイベントに参加したことでした。小学生がキャンプをやるイベントで、ボランティアとして子どもたちの面倒をみたんです。

その夜みんなが寝静まったあと、高校生と大人たちでいろいろ喋っていました。そこで「三刀屋にフリースペースとして使っている空き家があるから、高校生に盛り上げてほしい」という話がありました。

面白そうだと思って、そのスペースでイベントをやろうと思い立ちました。幼稚園生や小学生から高齢者までが参加できるイベントがあったらいいなと思ったんです。多世代で地域を盛り上げたいなって。」

「じゃあフリースペースで地域のイベントをやろうということで、高校の先輩2人と動き始めました。でも、周りの子たちは部活動をしたり、勉強したり、いわゆる普通の高校時代を過ごしている。自分だけが地域の活動をしていたので、学校では「なにをやっているんだ」って感じですよね。ときには、「こんなのやっても意味ないよ」なんて辛い言葉を言われることもありました。

でも、応援してくださる先生がいたり、伴走してくださる方がいたりして、なんとか続けられました。初めて企画書を書き、地域の人に協力してもらって、どうにかイベントを開催することができました。参加した子どもたちの笑顔や、地域のおじいちゃんやおばあちゃんからの「ありがとう」の声が原動力になりました。」

普通じゃない保育士になりたい

高校卒業後は、出雲にある保育の専門学校へと進学する。

「もともと保育士に興味があったんですが、いろいろ活動を続けるなかで、地域と子どもたちを繋げる、普通じゃない保育士になりたいと思ったんです。

だから進学で雲南から離れても、地元とのつながりは残しておきたいと考えていました。それで「五感で感じる雲南ツアー」という高校3年生向けのイベントの運営に参加したんです。まさに私自身もそうですが、雲南には大学がないから卒業すると多くの高校生は市外に出てしまう。そこで地元を出る前に、雲南の魅力を感じてもらおうというツアーでした。

私自身、高校生のときに先輩が案内するツアーに参加して影響を受けましたが、運営側になってみると、市役所や企業の方々の子どもたちを応援したいという気持ちがより強く感じられるようになりました。子どもたちだけでなく、スタッフの専門学校生や大学生にとっても、地域の大人たちの思いが伝わるツアーになったと思います。」

コロナ禍の保育を支える

専門学校在学中の2020年。コロナ禍が拡大して、全国の小中学校が一斉休校になった。

「雲南でも大きな影響がありました。学童や幼稚園、保育所、いろいろな交流施設や公民館までもが運営できなくなったんです。こうなると、各家庭の親御さんやお子さんは困りますよね。とりわけ小さい子どもがいるシングルの家庭では、親御さんは働かないといけないし、子どもはひとりでお留守番することも難しい。大変な状況だなって思っていました。

そのなかで、いま働いているコミュニティナースカンパニーで、1ヶ月間の子どもの預かり事業が始まったんです。私は保育士の卵でしたし、会社の人たちとも知り合いでした。そこで預かり事業にボランティアとしてかかわることにしました。」

ボランティアのなかで、思わぬ発見があった。

「最初は「ありがとう」も「ごちそうさま」も言えなかった子どもたちが、地域のおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に過ごすなかで挨拶もできるようになり、自分で食器も片付けられるようになっていったんです。地域で過ごすなかで少しずつ変化していく子どもたちを見ていて「これが私のやりたいことかもしれない」と思いました。

このまま頑張っていったら、地域と家庭をつなぐ「普通じゃない保育士」になれるかもしれない。そう思って、学校で保育を学びながら、コミュニティナースカンパニーでインターンを続けました。」

専門学生が事業をつくる?

インターンとして働くなかで、現在の小村さんのキャリアにつながる転機が訪れる。

「あるときコミュニティナースカンパニーの方々に、自分は保育や教育だけではなくて、地域全体で子どもを育てていきたいんだって話をしたんです。そしたら、「じゃあ、そういう子育てコミュニティをつくろうよ!」って言ってもらって。最初は大人の社交辞令かなと思ったんですけど(笑)、「ちょっと調べてみてよ」、「お金をこういうふうに回せば実現できるんじゃないか」って、段々と話が具体的になっていきました。

でも、当時の私はただの専門学生です。大学で経営学を学んでいたわけでもないので、最初は大人の使う横文字の意味さえも理解できませんでした。でも、あちこち相談するなかで、雲南市の「スペシャルチャレンジ制度」に採択されたことで事業立ち上げの目処が立ってきました。これが現在の「地域まるごと子育て“縁”」事業の原型です。」

いっそう発奮したのは、代表の一言だった。

「代表の矢田明子と話をしていたときに、「本当に自分がやりたいと思ってる? 周りに流されていない? 事業は優希ちゃんがいなくてもできるんだからね」って何度も確認されたんです。たしかに、当時は雰囲気に流されている面もありました。でも、なにより悔しかったんですよね。いつか「私がいないとできない」って言わせてやろうと思いました(笑)。事業はまだまだ始まったばかりですが、なんとしても軌道に乗せたいと思っています。」

「地域の文化を教えてあげるんだよ」

事業の本格的な立ち上げにあたって、小村さんはさらに保育を学ぼうと上京する。

「コミュニティナースカンパニーは東京にも拠点をもっていて、その近くにモンテッソーリ教育を行う園があったんです。どういうものか最初は知らなかったんですが、仲間と一緒に調べていくうち、その教育法に興味が出てきました。

ところが、モンテッソーリ園は島根県には松江にひとつあるだけです。都会にはいろいろな学校や教育法がありますが、地方ではなかなかそうはいかないんですよね。こうした選択肢の違いを目の当たりにして、これが地域格差なんだと思いました。

そこでまず私たちが学んでみようということで、専門学校を卒業してから、その施設で1年間勉強させていただくことにしました。」

小村さんが学んだモンテッソーリ教育とは、どのようなものだろうか。

「私が思うに、モンテッソーリ教育の特徴は、子どもひとりひとりがいまできることに寄り添うところにあります。それぞれの発達段階をよく観察して、それに合った環境を整えていくんです。

たとえば、ある子どもはまだハサミがうまく使えない。でも、なにかを切ってみたいという気持ちはありそう。そんなときは、その子に合った切りやすいハサミや紙を用意してあげて、実際にやってみせながら、ゆっくり教えていきます。少しずつ段階を踏むと、指先も器用になって、できることが増えていきます。その成功体験によって、子どもたちは自己肯定感や自信をもつことができるんです。

それから、私に教えてくださったモンテッソーリ園の先生から「地域の文化を子どもたちに与えてあげるんだよ」と言われたことが心に残っています。もともとモンテッソーリ教育はイタリアで生まれたものだし、私が学んだところも洋風の空間でした。最初はそのことが不安だったんです。私たちは言葉も出雲弁だし、周囲の環境も違います。それでも大丈夫なんだって思えました。」

頼り・頼られる関係

こうして立ち上がった「地域まるごと子育て“縁”」。実際のところ、どのような事業なのだろうか。

「「地域まるごと子育て“縁”」の目的は、子育て世代が地域の方とつながる、地域全体で子どもを育てるコミュニティをつくることです。ですから、子どもと一緒に活動することはもちろん、保護者や地域の方々とも一緒に過ごす機会を大切にしています。

ここはみんなが自分の好きなことや得意なことができる場所なんですよ。主に今は、自然のあふれる環境で子どもたちが自由に過ごしたり、地域の方と一緒に交流できる「杜のくらす」というサービスを運営しています。

それから、保護者と地域の方々をつなぐ機会として、月に1回イベントをやっています。たとえば、親子で出雲神楽に触れる体験があったり、子育てや地域の話をみんなで語り合う会があったりします。」

「今後は単発のイベントだけではなく、米作りやお蕎麦づくりなど、雲南で営まれるものづくりを1年間一緒にやっていく中長期のサービス「忠ちゃん学校」もやっていきたいと思っています。

子どもにも保護者にも、地域の人にも、ここがサードプレイスになったらいいなと思っています。そういう場所があれば、日常的に隣に住んでいる人との会話が生まれて、「ちょっと子どもを見ておいてもらえないですか」って言えるようになると思います。

私の理想は、施設で支援する・支援される関係ではなくて、地域で頼り・頼られる関係ができていくことなんです。」

地域の思いがつまった農園

「地域まるごと子育て“縁”」は、雲南市木次町の「食の杜」と呼ばれる広大な農園内に位置している。

「ここは思いをもった地元の方々がつくった森です。地元の木次乳業さんを中心に、自然との共生という世界観に共感する人たちが集まってできたんです。

木次乳業さんの日登牧場をはじめ、奥出雲葡萄園や大石ぶどう園といったぶどう畑があって、少し奥にいくと、お豆腐屋さんやパン屋さん、革工房。ほかにも、どぶろくをつくったり、観光客の方に日本料理を提供したりしているお店もありますよ。

「地域まるごと子育て“縁”」の拠点としてお借りしている「室山のおうち」は、地域の慰労会や宴会、合宿の場として使われていました。もともと地域の方々が集まる場所だったんです。建物は広い日本家屋で、大きな梁があります。床は畳で、囲炉裏や隠し扉もあるんですよ。」

そんな場所だからこそ、周囲の方々も温かい。

「最初はゴミの捨て方や寒い時期の水道栓の締め方まで、さっぱりわかっていなかったんですが、先ほどお話しした地域の方々が優しく教えてくださりました。

畑をやってみたいと相談したら、「私たちでも大変なんだから、あなた達にはできないわよ」と言いつつ、「ここの一角の半分くらいなら、子どもたちもできるんじゃない」って提案していただいたり、「今日は柿があるけん、子どもと一緒に取りに来るだわ」と声をかけてくださったり。すごく交流が活発で、気にかけてくれる環境なんです。本当に嬉しいですよね。」

最後に、改めて今後について聞いた。

「この森をひらいた木次乳業の創業者・佐藤忠吉さんにお会いしたとき「子どもを育てるんじゃない、子どもの育つ姿を見て大人が育つんだ」って言われました。この言葉がすごく印象に残っています。私は保育士なので、子どもを育てるんだっていう思いが強かったんです。でも、それだけじゃない。私たちが子どもから学べるんだなって。

子どもたちと過ごして、大人も一緒に育つ。そんな環境を、この場所からつくっていきたいと思います。」

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