〜だからこそ撮れる写真
雨の日に撮影していると「晴れていたらいい写真が撮れるのになー」と感じ、逆に晴天が続くと「雨だったらいい写真が撮れるのになー」と考えてしまいます。
だいたい、今日と違う天気を望んでしまいます。隣の芝は青いものです。
「〜だったらいい写真が撮れるのに」と思ってしまったらすぐに「〜だからこそ撮れる写真がある」に言い換えると見える景色が変わってきます。
アンテナが反応し、「今だから撮れる写真」を探し出し、撮影することが面白くなります。
雨だからこそ、リフレクションの写真が撮れ、
風が吹くからこそ、髪の毛がなびく写真が撮れます。
写真に適した天気は「今日の天気」です。今日の天気に不満があるようなら、一生天気に恵まれないでしょう。
「ラッキー、今日は曇ってる」と考えると、アンテナが働き、曇りに適した被写体を見つけてくれます。
雪なんて降ろうものなら、大ラッキーです。滅多にないチャンスです。
これは天気だけに限りません。
場所に関しても同じです。
「ヨーロッパに行けばいい写真が撮れるのに」ではなく、「今いる場所だからこそ撮れる写真」があります。
天気や機材、撮影する場所も、今ある現状が最高と考えると撮影が面白くなります。
さらにここからが本題です。
一見マイナスに感じることが、写真を撮る上での重要なバックボーンになり、写真を撮る明確な理由になります。
「(マイナス)だからこそ撮れる写真」です。
バックボーン(背景)を意識すると写真の見え方、撮り方が変わってきます。それは上手いとか下手とかは関係ありません。
例えば、ポートレート撮影の時、背景を白い壁にするか、その人が大切にしているものを背景にするか、写真は大きく変わってきます。これは誰もが理解できると思います。
それと同じように、写真を撮ること自体にも背景があります。なぜその被写体を撮影するに至ったかということです。それを意識することで「自分だから撮れる写真」になります。
それは誰もが持っているものですが、自分では気づきにくいものです。なんとなく写真を撮っているかもしれませんが、写真を撮らない人もいるわけです。そう考えると、なんとなくの後ろには必ず理由があります。(そんなこと考えなくていいことですので、面倒くさい人はスルーしてください。)
「(マイナス)だからこそ撮れる写真」について考えるとき、とてもいい写真集があります。
「増山たづ子 徳山村 写真全記録」をご紹介します。
この写真集、すごいです。
昭和の時代に撮影された、岐阜県の徳山村の写真集です。この写真集には、ダム建設によって、徳山村がダムの底に沈むまで20年間の写真が掲載されています。
写真集には、村のおじいちゃんおばあちゃんから小学生まで、村人全員写しているのではないかと思うぐらい、たくさんの人が登場します。これからダムに沈もうとしている校舎、倒される桜、村のあらゆるものが写されています。
それを撮影したのは、なんとその村のおばあちゃんです。それまでカメラを触ったことがありませんでしたが、近所のカメラ屋さんで勧められ、誰でも使える一般に広く普及したピッカリコニカというカメラで撮影しました。
撮影数は、なんと10万枚。600冊のアルバムを作ったといいますから驚きです。もちろんフィルム写真です。何しろ村人の姿がイキイキとして笑顔で溢れています。地元のおばあちゃんだからこそ撮れる写真です。
そのおばあちゃんが写真を撮りはじめた理由が二つあります。
一つ目は、沈んでしまうこの村を記録しておきたいということと、
二つ目は、戦争に行って行方不明になった旦那さんが、もし戻ってきた時に村の様子を見せるためです。
まさしく増山たづ子さんだからこそ撮れる写真です。
生まれ故郷がダムの底に沈んでしまう、旦那さんが行方不明、というマイナスの面があって、それが明確な撮影する理由になっています。
「自分だからこそ撮れる写真」というものがあるはずです。それには自分自身の身の回りにあるマイナスになる面を思い出すと、現れてくる可能性があります。
今考えてみれば、私は家族と離れて暮らしていたからこそ、写真を撮りはじめました。
不平や不満、マイナスなことに直面した時、「〜だったらいい写真が撮れるのに」ではなく、「〜だからこそ撮れる写真」ということも考えてみてはいかがでしょうか。
そういう考え方をしていると、マイナスのことが起こっても物事をプラスに考えるようになり、写真に関してだけではなく、普段の生活が楽になると思います。
マイナスがあるからチャンスです。